いま「医療倫理」を問い直す
遺憾な群大医学部事故
患者が納得し同意する診療を
インドの偉大な指導者M・ガンディー(1869~1948)は、七つの社会的大罪をあげて、その一つに人間性なき科学を指摘している。そして“動機がよくても、その手段が正しくなければならない”とM・ガンディーは述べている。
近年、医学領域における進歩は目を見張るものがあり新しい医療技術が臨床応用されるようになってきた。それに伴い新しい医療倫理の問題が持ち上がってきている昨今である。こうしたなかで、去る3月3日、群馬大学医学部付属病院(前橋市)の医療事故の最終報告書が公表された。その主な問題点として、①新しい手術導入の際に必要な倫理審査を怠っている②手術前の検査が不十分である③患者への説明同意文書が不十分である④死亡診断書に虚偽の病名を記載するなど極めて重大な問題がある――ことを述べている。
このような医療行為は極めて遺憾であり決して容認することのできない重大な出来事と言う他はない。そもそも医療とは何か改めて問わずにはいられない思いである。もとより、“医学は不確実性の科学であり、確率の技術である”と語ったのはイギリスの臨床医、W・オスラー教授(オックスフォード大学)であるが、それをいかに確実なものにしていくかが、いま問われているのではなかろうか。
イギリスの哲学者、F・ベーコンは“確実であるという断定から出発すると疑いに終わるが、疑いから出発すれば確実さに到達するだろう”と述べている。しかも、医療は医師と患者との人間的信頼関係によって成り立つ治療行為であることは言うまでもない。古くは医の倫理を示す言葉として「杏林の道」(古代中国の医師・董奉(とうほう)の古事による)といわれ、また「医は仁術」として人を慈しむことを説いている。
そして、医療は本来「納得医療」(患者が医師の説明を納得したうえで行う医療)が前提である。これは、今日では「インフォームド・コンセント」<informed consent>として一般に用いられ「説明と同意」を意味する。もともとこの言葉は、唄(ばい)孝一教授(東京都立大法学部教授)によって、ドイツでの「説明原則」を紹介したことに始まる(1965年)。即ち「十分な説明を受けた上で患者は納得・同意して検査や治療を受けるという原則」で医療において必要不可欠な重要な条件である。大事なことは、患者の人権を尊重し、患者の自己決定権、知る権利をもとに医療を行うことである。これこそが「納得医療」と言うことになる。
従って、医師には説明義務があるとともに裁量権があり、患者には真実を知る権利と自己決定権があるので、この双方の均衡をどう保つかは現実の問題として極めて難しい判断が問われる。
ここで「患者の自己決定権を尊重した未確立の療法についても説明義務があることを示した判例」を紹介したいと思う。
乳癌の手術にあたり、乳房の温存を希望した患者が当時医療水準としては確立されていなかった療法の説明を受けなかったことを訴えた事件である。判決では、「医師は手術を実施するに当たり、特別の事情のない限り、当該疾患の診断、手術の内容、付随する危険性、選択可能な他の治療法について説明すべきであり、自己決定権を重視し、医学的に未確立の治療法に関しても診療契約上の説明義務がある」としたのである(最高裁判決01年11月27日付)。
我が国に於けるインフォームド・コンセントの裁判例は、昭和46年の「乳腺症女優志願女性乳房切除事件」、昭和48年の「舌癌患者舌切除事件」などをはじめ、インフォームド・コンセント取得義務違反の判決が次々に出され、現在まで約200件を超える判決が出ている(塩野寛著「生命倫理への招待」)。
いずれも、これらの裁判は「損害賠償請求事件」である。
次に重要なのは「病院倫理委員会」(倫理審査会)の役割である。そこで必要なのは、審査手続きの透明性と中立性であり、主たる任務は、①申請された計画の科学性・倫理的妥当性②患者の人権とプライバシーの保護③実施に伴うリスク管理――などである。また、委員には外部委員2~3名の参加が求められる。以上、これまで述べたことを要約してみよう。医療は、患者と医師の共同の医学的行為であり、患者は目標(希望)を提示し、医師はそれに対する方法(治療)を行うことであり、更に、セカンドオピニオンを得やすい仕組みを整備することである。
スタンフォード大学のアレン・バーボー医師は『患者のケア』<caring for patients>(1995年)でこう述べている。“患者中心の医療とは、患者<patient>ではなく人間<person>を、疾患<disease>ではなく病気<illness>を、治療<curing>ではなく癒やし<healing>に焦点をあて、単に患者を治療するだけでなく患者と共に病気を根絶することよりも健康を達成することを目指すのである”と。いま、問われる「医療倫理」を考えるとき、患者の立場を尊重した治療の実践であり、それには人間的な信頼関係に基づく患者と医師との医療に対する価値観の共有が求められているのではなかろうか。
(ねもと・かずお)