暗殺者教団の末裔との遭遇
快楽で若者誘った老人
日本人の想像を絶するIS
過激派組織「イスラム国」(IS)側に拘束されていた2人の日本人は、最悪の予想通りになってしまった。相手はまさしく現代版の悪魔の集団と思って間違いなさそうだ。
中東の世界は、分かったようでさっぱり理解しがたい。10人いれば違った10の回答が返ってくる。ここに住んでいたからといって、分かるものではない。民族から風俗・習慣・宗教に至るまで各々異なるのでは、日本人にとっては理解は無理だ。結局、この地の民族の体を流れる血にあり、これは教育や生活環境で変えられるものではない。
話は飛躍するがマルコ・ポーロやアラビアン・ナイトの話になると、途端に関心を示さない人がいる。これも当然だろう。だいたい大人が子供向きの話題に耳を貸す方が、おかしいと思うからだ。こんなばからしい話をするくらいならと、さっさと去って行く人もいる。たしかにその通りでこれに文句を言う理由がない。ただこんなたわいのない話の中に、他で得られない貴重なものが含まれていることがある。
もう何十年か前、中央アジアの草原地帯で、百頭以上の羊を飼っていた遊牧民と親しくなって、ごくわずかな間、生活を共にしたことがある。もちろん、相手はイスラム教徒で、1日に5回、メッカに向かって拝礼を欠かさなかった。相手の牧夫は親切で一人では寂しかろうと言って、若い牝の羊をつけてくれた。相手はいつもこちらの横にいて一緒に草原や砂地の中を歩き、夜になると隣に横になって休んだ。日本でいうペットのイヌ・ネコと違って、人間と同じような感情に襲われる。
ところがここで深刻なショックを受けた。羊飼いとはいえ羊のように野草を食べて生きていけない。食用として羊を殺して調理しなくてはならない。私がまだ幼い子供のころ、長年飼っていた鶏の首を切って料理用にしたことがあるが、いまでもこのことが心のどこかにひっかかっている。日本人だってみな同じなのだが、動物になるとそうだれでも簡単に殺せない。
今回、日本人がテロ集団に捕まったニュースを聞き知ったとき、ふと胸を横切った衝撃は、マルコ・ポーロの話の中に出てくる暗殺者教団のことだった。こんな嘘か本当か分からない、いまから700年以上も昔のホラ話を、信じているのかと問われることがある。
かつてパキスタンの西の回廊を通ったとき、案内してくれた現地の若者から、自分はイスラム教の中のイスマイール派だと告げられたことがある。聞いてびっくりしたこちらは、たしかこの派はかつての暗殺者教団だったのではなかったかと言うと、たしかにそうだがいまではそんなことはしませんと、真面目な顔をして話してくれた。このことはいまでもよく記憶して覚えている。
暗殺者教団にかかわる最もリアルな舞台は、北東イランのケビール沙漠とアフガン国境に接する地域がそうで、ここはごくわずかなオアシス以外、人は住めない。1970年代にたまたまこの国境地帯に沿って旅したとき、乾燥しきったこの塩砂漠は一種異様な光景だった。ここには電信柱のような高さの2倍ほどの石柱が、そそり立っていた。これは風化浸食作用で岩盤が削られたもので、まるで枯れた立木のような姿だった。ほとんど垂直に近く、とても下から登れるような岩塔ではない。このとき咄嗟に思い出したのが例のマルコ・ポーロのことだった。
マルコが言うには、この垂直に近い岩峰の上に――マルコの言うのは大きな岩峰だったろう――人が住んでいたという。天空の宮殿である。ここに住む「山の老人」というのは、地上にいる貧しい若者に向かって、葡萄酒や牛乳、蜂蜜の川が流れる宮殿を造って、絶世の美女を集め、暗殺者――刺客を養成したのだという。こうして著名な国王や邪魔になる大臣やら名士を殺害するように誘ったのだという。彼らは言葉巧みに説得し、若者たちを酒と麻薬を使って眠らせ、この岩峰の宮殿に誘い込んだという。そして快楽の限りを尽くした後、ふたたび地上に下ろしてしまう。希望も夢も失った若者たちは、ふたたび宮殿に戻るため相手の要求になんでも応じたという。
いまの「イスラム国」はどのような手段を使って、世界中の若者を呼び集めているのか、さっぱり分からない。相手はどういう考えで自分たちの邪魔な者と判断しているのだろうか。これは明らかに相手側に付け入られるすきを与えている。世界のマスコミはこぞって相手の宣伝をしているとしか思えない。恐怖を植え付けることなのだ。暗殺者教団の場合、モンゴル軍は文句なしに彼らを根こそぎ絶滅してしまったのだが、現在ではこの手はとても使えないであろう。マスコミに登場する研究者や評論家の議論はみなよってたかってほぼ同じで、これでは解決のめどはなにひとつつかない。
いつもの例で、「イスラム国」の人の中にもよい人がいて、爆撃などとんでもない、助けてやれという声も出ている。解決はずっと遠いことだろう。
(かねこ・たみお)