西側諸国の対露戦略の弱点

アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき

加瀬 みき2軍事から手を引く米国

ドイツでは限界ある指導力

 ウクライナをめぐる西側諸国対ロシアの攻防は明らかにロシアが圧倒的優位にあり、ウクライナ政府は不利な条件を飲まされている。2月12日に結ばれた新ミンスク合意はウクライナ政府および反政府勢力が重火器を撤去させることを第一歩としているが、反政府指導者の一部は合意を認めないと公言し、停戦実施と決められた日以降も戦いは続き、ウクライナ政府軍の武器弾薬の不足もあり、デバリツェボなどで反政府勢力が支配地域を広げている。ロシアとの国境の支配権をウクライナ政府が取り戻せるのは、ロシアおよび反政府勢力が納得する憲法改正後と定められ、ロシア軍はウクライナへ自由に出入りし、憲法の内容や反政府勢力の権限範囲設定などに大きな影響力を行使できることになる。

 ロシアはウクライナ東部のロシア系住民地区の独立、ロシアへの併合を目指すのではなく、ウクライナ政府から独立した政策を取る傀儡(かいらい)国家を建設し、一方、年金などの財政負担はウクライナ政府に負わせ、ウクライナ経済の混乱や停滞および治安の不安定化を助長することで影響力を行使しようとしている。

 昨年7月のマレーシア航空機撃墜は、ロシア軍あるいはその支援を受ける反政府勢力によるものとされる。また、ロシアは軍を潜入させ、ミサイルから戦車まで堂々とウクライナに持ち込んでいるが、事実を頑(かたく)なに否定している。クリミア併合に際しても軍章をはずした「緑の男たち」がロシア軍の銃器を携え、半島を支配した。プーチン大統領は偽情報や否認、欺瞞(ぎまん)を駆使する古くからの戦術を用い、侵略も武力行使も躊躇(ちゅうちょ)しない。

 このロシアにEUやアメリカをはじめとした西側自由民主主義陣営が立ち向かい、ウクライナの領土を守り、治安と経済回復を達成するのは現状ではほぼ不可能である。その最大の理由は、ウクライナをめぐる対ロシア政策を主導する西側陣営の指導者がドイツのメルケル首相であり、アメリカ大統領の姿がほとんど見えないことである。

 ユーロ圏の経済政策全般から現在のギリシャ支援のあり方に至るまで、経済・金融問題ではドイツがEU政策を支配してきたが、外交や安全保障分野でもメルケル首相が指導者にならざるをえなくなっている。欧州統合はドイツが経済面の、フランスが政治や外交面の顔となり二人三脚で主導してきた。しかし、フランスの経済力が低下し、大統領は国民の支持を失い、反EU、反移民政策を打ち出す極右政党が台頭し、フランスの影響力は大きく失墜している。

 メルケル首相は、ロシアのクリミア併合に始まり、EUの対露経済制裁のあり方ばかりか、ウクライナ東部の紛争解決の交渉においても西側陣営の指導的役割を果たしている。そもそも、ドイツは冷戦中のオストポリティーク政策(東方政策)にはじまり、EU内でロシアとの経済、投資、エネルギー関係が最も親密である。その上、メルケル首相は東独出身でロシア語も流暢(りゅうちょう)である。プーチン大統領はEU指導者の中ではメルケル首相しか相手にしない。一方、ドイツはウクライナとEUの関係強化にも積極的で、その道を拒んだヤヌコビッチ前大統領に反対する市民運動を早くから支援した。

 ロシアの軍事介入が明らかで、プーチン大統領に通じるのは軍事力しかない。しかし、2度の大戦を起こし、全ての周辺国に侵略したドイツの首相であるメルケル首相が、積極的に軍事力使用を打ち出すことはできないし、ロシアとの軍事衝突は最も避けたい事態である。北大西洋条約機構(NATO)加盟国であり次にロシアの餌食となることを恐れるバルト3国やポーランドへのNATO常設軍の配備や、ウクライナへの武器供与を提案することもできない。できるのはアメリカしかない。

 しかし、オバマ米大統領の安全保障面での国際的信用は、シリアの大量破壊兵器使用で自ら引いたレッドラインを守らなかったことで失墜している。ウクライナへのレーダーのジャミング(妨害)システムなど防衛的軍事装備の提供でも議会の方がよほど積極的である。かつては国際的な問題が起これば、アメリカの大統領や国務長官、安全保障担当特別補佐官が世界を飛び回ったが、ウクライナ問題ではメルケル首相が欧米の政策を取りまとめ、プーチン大統領と交渉している。プーチン大統領からみれば、欧米はロシア軍との戦闘を覚悟した配備や軍事支援はできないと読んでいるだろう。

 ウクライナ対策はもとよりロシア戦略に関しNATOの加盟国間や加盟国内でも意見が衝突している。自由民主主義陣営の強みはそういった違いを公に戦わせられることだが、政策をまとめ団結して遂行できなければ敵の横暴は止められない。

 冷戦末期、中距離核ミサイル配備議論は西側諸国を分断しかねなかったが、アメリカのリーダーシップの下、政策の調整が行われ、西側が団結し、ミサイルを配備した。これが米ソ両側の中距離核ミサイルの撤退に繋(つな)がった。アメリカがリーダーシップを取らず、敵の目からも味方からも威信を失った中でプーチン大統領の野望を制御する有効手段を見出すのは難しい。

(かせ・みき)