日本メディアの「ISIL」呼称

櫻田 淳東洋学園大学教授 櫻田 淳

「イスラム国」は不適切

機械的な訳が続く知的怠惰

 世界を震撼させている過激集団ISIL(THE ISLAMIC STATE OF IRAQ AND LEVANT)は、どのように呼ばれたのか。従来、日本のメディアは、「イラク・レヴァントのイスラム国」と訳語を略し、「イスラム国」と呼んできた。

 しかし、ISILそれ自体は、「日本国」や「リビア国」といった国号を持つ国々と同じ意味での「近代主権国家」ではなく、中世カリフ国家の再現を夢想しつつ数々の暴虐を続ける妄執(もうしゅう)集団でしかない。故に、ISILを「イスラム国」と呼称することの不適切さは、折に触れて指摘されてきた。

 政府・外務省や自由民主党は、「イスラム国」呼称を用いずに、ISILや「いわゆる、イスラム国」という言葉遣いを通そうとしている。また、トルコ国営放送も、「イスラム国」呼称がイスラム社会全般に及ぼす悪(あ)しき印象を懸念して、「イスラム国」呼称を止めるように求めていた。

 そして、NHKは、「イスラム国」呼称を改め、「過激派組織IS=イスラミック・ステート」と表記するようにしたけれども、他のメディアの大勢は依然、「イスラム国」呼称を続けている。

 こうした「イスラム国」呼称に絡む日本のメディアの姿勢は、彼らが何を伝えようとしているかということについて、一つの疑問を投げかける。

 そもそも、〈THE UNITED STATES OF AMERICA〉を「アメリカ合衆国」と呼ぶ仕方は何時、定着したのか。この国号は、〈STATE〉を「衆」と訳していることを示している。

 ただし、それでは奇妙だということで、「合州国」と呼ぼうとする向きがあったけれども、これもまた、「州」という言葉が「一つの地方領域」という意味を表すものでしかない以上、奇異さを免れないであろう。それでも、「一つの独立した政治単位」を表す〈STATE〉の訳語として、「州」は定着しているのである。

 米国独立以前、英領植民地時代の13植民地が「邦」と呼ばれることを踏まえれば、「合衆国」として定着した〈THE UNITED STATES〉は、「合邦国」や「諸邦連合」と呼ぶのが正確なのであろう。要するに、〈STATE〉の訳し方は色々とある。

 この米国における〈STATE〉の訳し方に倣えば、日本語表記としては、「イスラム国」と呼ばれる〈THE ISLAMIC STATE〉は、「イスラム邦」とした方が受け容れられるものであろう。否、「イスラム衆」とした方が、その実態は伝わりやすいかもしれない。

 さらにいえば、イラク・シリアに蟠踞(ばんきょ)するISILとは別に、リビアでも類似の過激武装勢力がISILと呼応し、それとの連携を深めながら擡頭(たいとう)している様子を前にすれば、それは、「イスラム勢」と呼ぶ方が相応しいのかもしれない。

 イラク、シリア、リビアといった既存の国家の枠組が実質上、崩壊した隙に乗じて、「イラク・レヴァントのイスラム勢」本体や「リビアのイスラム勢」と呼ぶべき類似勢力が互いに共鳴しながら、全体として「イスラム勢」の勢力拡張を加速させている。それが今や、国際社会全体の脅威として認識されている。

 現在に至る「イスラム国」呼称論議の発端は、ISILやその類似勢力が歴(れっき)とした「国家」ではないという実態に即せずに、〈STATE〉を半ば機械的に「国」と訳したところから始まっているのである。

 外国語を日本語に翻訳するときは、「何を伝えようとしているか」という実態に即して考えないと、おかしなことになる。そうした機微を理解せずに言葉を扱えば、実態から乖離(かいり)した「虚像」が伝えられるのである。

 たとえば、ビールは、一般に定着している「麦酒」よりは「麦泡酒」とした方が、その実態を適切に表すであろう。ウィスキーならば、「麦燻酒」であろう。国際政治に限らず、広く社会科学に係る術語は、大概、西洋由来のものを漢語に翻訳したものである。それは、文明、民族、思想、法律、権利、経済、社会、資本、政府、主権、自由、革命、社会主義、共産主義といったように多岐に渉(わた)っている。それは、日本の人々にとって馴染みの薄い概念を、どのように適切に伝えるかという模索の所産なのである。

 「イスラム国」呼称にせよ「イスラミック・ステート」表記にせよ、そこに浮かび上がるのは、福澤諭吉や西周(あまね)に代表される明治の先人達ならば嘆くような「知的怠惰」や「想像力の貧困」の風景である。日本の国家や人々に対する明白な敵意の下、邦人人質殺害の凶行に及んだISILの脅威よりは、この「知的怠惰」や「想像力の貧困」の方が、日本の将来にとって大きな懸念となるであろう。

(さくらだ・じゅん)