朝日縮刷版無謬神話の終焉
消せぬ「吉田証言」記事
誤報を詳細に検証する米紙
ジョージ・オーウェルが1948年に書いた「1984年」は風刺の対象のソヴィエト連邦が崩壊したために読まれなくなったが、20世紀英文学の最高傑作である。この小説の主人公は、スターリンよりもさらに強大な独裁者ビッグ・ブラザーの国の「真理省」で、過去の記録を現状に矛盾しないように作り変える仕事をしている。
私が特派員として駐在していた1970年代後半のソ連では共産党の体制を保持するために数々の愚かしいことが行われていたが、昔の新聞を書き直すよりはずっと効率的な方法をとっていた。
1978年は日本でテレビ放送が始まって25周年に当たっていたので、当時のソ連がどういう社会状況だったのかを知ろうと思って、私はレーニン図書館に出向いたところ、古い新聞は一切閲覧できない規則になっていた。理由は明白であろう。そんなことをしても日本などの外国では「プラウダ」も「イズヴェスチア」も全部保管されているが、少なくとも自国の反体制派に告発の材料をほじくり出させない効果はあった。
ところが、ところが、何とわが国に往年のソ連帝国も顔負けの手段を断行している言論機関があった!
私のモスクワ時代の日ソ間の年中行事は漁業交渉だった。その際、朝日の記者は特殊なルートを持っていて、ソ連の最終提案を特ダネとして速報することが多かった。しかし、ある時、ロシア語の魚種名の翻訳を間違えたらしく大誤報となり、大見出しを含めて訂正の記事が出た。私は「ブレジネフ時代の終わり」(1982年、TBSブリタニカ刊)を出す前に朝日の縮刷版を丁寧に調べたけれども、どうしてもそれを見つけることができなかった。
その後、ある会合でこの不思議な体験を話したら、同席していた秦郁彦さんが、「その記事は国会図書館の切り抜きのファイルの中にある」と教えてくれた。確かにその通りだった(今は切り抜きサービスはやっていない)。
切り抜きの現物があるのに縮刷版に見当たらないのは奇怪なことではないか。私は朝日新聞に問い合わせた。
その回答は以下のようなものだった。「当社の縮刷版を見て誤解されると困るので、記事を正しく直して発行している」。すると、訂正の方は? 「当然不要になるから、その部分には別の記事を入れる」。一応もっともな説明ではあるが、どこか釈然としない。これで朝日の縮刷版には誤報は一つもなくなり、無謬(むびゅう)性が貫かれるのだ。
それからしばらくして外国の大学教授に聞いた話では、例えば「ニューヨーク・タイムズ」はシティ・エディションの最終版の誤報部分に「この記事、〇月〇日、第×面に訂正あり」というスタンプを押して縮刷版を作っているとのことだった。日本でも産経新聞がそのようにしている。
思うに、新聞や放送のニュースは速報を使命としている以上、ある程度の誤報は避けられない。その代わりに、事実と相違するとわかった段階で速やかに訂正しなければならない。本来ならば、第一報と同じ大きさで、同じ紙面や放送時間に、誤りを経過とともに周知徹底を図るべきである。このルールを守れば、謝罪は要らない。
「ニューヨーク・タイムズ」は毎日第2面を〈ERATTA〉(誤報)にあてていて、その日までにわかった誤りを一つひとつ掲載日・紙面・記事概要を伝え、そのあとに訂正記事をきちんと載せている。私は知り合いの有力新聞の幹部にこれに倣ったらどうかと進言したが、「そんなことをしたら、うちの新聞だけが誤報が多いと思われて、読者を失う」という返事だった。
私が鮮明に記憶している「ワシントン・ポスト」紙の事件がある。1980年に「ジミーの世界」というルポルタージュが掲載された。首都に住むジミーは、両親がヘロイン中毒のために8歳ですでにヘロイン常習者となり、悲惨な生活をしている様子が生々しく描かれており、これを書いた記者はピューリッツァー賞を受賞した。警察と福祉当局は責任を感じて詳細に調査したが該当する少年は見つからなかった。編集局長らは執筆した記者を追及したが、記者は取材した人たちに迷惑がかかるとして口を割らなかった。(この辺りは『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行の記録』の著者、吉田清治の場合と同じだ)。やがて、この記者を知っているという読者からの相次ぐ通報で次第に事情が暴露され、この記者が功名心のためにすべてを捏造(ねつぞう)したことが明らかになった。
「ワシントン・ポスト」は6ページにわたって疑念の余地を残さない、実に詳しい分析を報じた。この結果、同新聞の信頼性はかえって高まった。
これに比べれば朝日の慰安婦問題検証はまったく恥ずかしい言い訳に尽きている。朝日がいわゆる従軍慰安婦を最初に記事にしたのは1982年。吉田清治の作為が判明してからでも20年が経過している。もはや無謬の縮刷版を維持するすべもない。
朝日が確信犯だという説はあやしい。確固たる編集方針に基づくのなら、あくまでも虚偽を認めなかったであろう。あの進歩派のポーズは読売新聞に対抗して読者を二分し、部数を確保するための販売政策ではなかったか。
(おおくら・ゆうのすけ)






