島の人口問題は日本の縮図

宮城 能彦沖縄大学教授 宮城 能彦

自立性高める仕組みを

ささやかな産業が国境守る

 8月、9月は大学の夏休みを利用して可能な限り多くの島を巡っていた。島へ渡り、たくさんの人々の話を聞いたり行事に参加させてもらったりするのには、私なりの理由がある。

 ちなみに、私は「離島」という言葉はあまり使わないようにしているが、同じような方も多いだろう。「離島」と表現するよりも、「島」あるいは「島嶼(とうしょ)」という表現の方が私にはしっくりくる。

 「離れている」「島」と言う時、いったい何から離れていると人々は(おそらく無意識に)思っているのだろうか。

 もちろんそれは、「中央」とか「本土」ということになるであろう。しかしそこには実際の距離だけでなく、「中央」や「本土」から文明的・精神的に「遅れている」というイメージが付随しているような気がする。

 「良し悪しの問題ではなく、離島が本土に対して『遅れている』のは物理的な条件からくる事実ではないか」と考える人も少なくないであろう。しかし、私はその「遅れている」とか「離れている」という考え方、すなわち、中央があって地方があるという考え方そのものを見直す時期に来ていると思うのだ。だからこそ、島や島の人々の生活の現状を直接見聞きしたいのである。

 「島は日本全体の縮図だ」

 そう思うことが多い。今回は沖縄の島々だけでなく、長崎の五島列島や東京の八丈島も訪ねて行ったが、ますますその感を強くした。

 島嶼地域に限らず、日本の地方は過疎化に悩んでいる。かつては、過疎・少子・高齢化はセットであったが、今では若年・中年層が底をつき高齢者も増えない状況になりつつある。島には就労機会が少ないために若者が帰ってきても仕事がなく、Iターン(都市から地方への移住)でやってくる若者が期待できる島も多くはない。

 そういう現状の中で島の活性化を考えると、これまで繰り返してきた思考にならざるを得ない。すなわち、人口を増やすためには若者を雇用する産業が必要であり、産業を活発にするためには公共投資が必要だ。従って、国や県から如何に予算を獲得するかが行政の長の力の見せ所である、というように。

 そして、そこに利権が発生し、既得権者はそれを守ろうとするし、少なくない人々がその仲間入りをしたくて選挙の応援に熱が入る等、利権とそれに伴う人間関係に縛られている島民も少なくない。

 ところがその一方で、伝統行事など人々が力を合わさなければならない時は、みごとにその共同体的な機能を発揮するのも島の特長だ。ちょうど東日本大震災後に多くの人々がボランティアに出かけたり、気持ちだけでも応援したのと同じように、その一体感は見事である。

 ところで、最近、島の活性化=公共投資という発想とは全く異なる小さな動きが出てきた。

 それは、島の活性化すなわち「発展」ではなく、今の静かな島の生活を守り、身の丈の高さで「便利さ」や「快適さ」を求めようというささやかな活動である。

 例えば、私が通う島のある集落では、もう10年以上も小売店がなく特にお年寄りが困っていた。車さえあれば10分程度で行けるものの、その店も品揃えが良いわけではなく、島全体でも小売業は寡占状態であることもあって、値段もかなり高い。そこに、地域で運営する小さな店を主婦たちが中心となって作ったのである。

 店舗経営の全くの素人の集まりであり、最初は商品の仕入れの方法も知らず帳簿のつけ方もわからなかったが、みんなで知恵を出し合い協力して、3年間で一度も赤字をだしていない。それどころか、今年度はささやかな配当まで出せるようになった。

 その要因は、「売れそうな商品」ではなく、自分が必要な商品、自分があったらいいと思う商品を置いているからであり、地域の店を皆でささえなければならないと思うからである。このような活動は地味であり、決して島の活性化の「起爆剤」にはなりえない。しかし、「起爆剤」という発想こそ、これからの日本には必要のないものではないだろうか。

 再生可能エネルギーを含め、もう「夢のエネルギー」は出てこないし、日本の人口がV字回復することもなければ、画期的な政策で突然デフレが止まり景気も鰻(うなぎ)上りによくなることもない。そのような発想で地域や経済を考えた方がよいのではと私は思う。

 そういった意味でも、島は日本全体の縮図であり、蓄積された日本の過去と将来が見える場である。そして日本の未来を占う実験的・実践的な場でもあるのではないだろうか。

 そしてもう一つ重要なことは、島国日本にとって瀬戸内海を除くほとんどの島が「国境」だということである。もし尖閣諸島が無人島になっていなかったら、現在のようないわゆる「国境問題」はなかったかもしれない。

 人々が島嶼でも安心して暮らせるようになること。そして、「補助金」による箱物行政という発想とは異なった形で、人々の自立性を高めるような仕組みを考えること。そういうことも国防にとって極めて重要なことではないのか。島嶼地域の人口減少は島の人たちだけの問題ではないと思う。

(みやぎ・よしひこ)