「昭和天皇実録」の問題点
考察など手薄な編年体
編纂方式変えた靖国の経緯
この9月9日、宮内庁は昭和天皇の生涯の公式記録である「昭和天皇実録」の内容を公表した。これは、宮内庁によると、国内外の公文書や元側近の聞き取りなど3152件の資料をもとに編さんしたもので、そのうち約40件は未公表のものである。
その未公表の資料には、大東亜戦争=太平洋戦争の開戦時に侍従長だった百武(ひゃくたけ)三郎の日記などもふくまれている。百武日記には、天皇が昭和12年1月に宇垣一成陸軍大将に組閣を命じたさい、中国との関係を心配して「侵略的行動との誤解を生じないよう」指示した旨、記されている。
「実録」は全61巻、1万2000㌻に及んでいる。昭和天皇についてのまことに堂々たる公式記録、といっていい。
わたしの個人的な関心からいえば、昭和11年の二・二六事件で、天皇が蹶起事件終息まで本庄繁侍従武官長と41回も会って「鎮圧」の指示を下した事実に、まず興味がひかれる。しかし、そのおおよその内容は、わたしが「畏るべき昭和天皇」[新潮文庫]などに記してあるとおりで、とくに新事実が明らかになったわけではない。
それに、天皇が昭和21年1月1日の「詔書」でみずから「神格化」を否定したいわゆる「人間宣言」についても、その32年後の昭和52年8月23日に、「詔書の第一の目的は、冒頭の『五箇条の御誓文』であり、神格とかそういうことは二の問題であり、民主主義が輸入のものでないことを示す必要があった」という条(くだ)りも、すでに周知の事実である。
もし、この公式記録が官庁文書の限界をこえる意図があったなら、天皇の「人間宣言」に対して「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」(「英霊の聲」)という呪詛のリフレインを鳴りひびかせた三島由紀夫のことを、天皇がどう言っていたのか、そこまで踏みこむべきだったろう。
要するに、「昭和天皇実録」には、「明治天皇紀」16巻に対してわたしが抱いた思いと同じような問題点がある。――「明治天皇紀」という公的文書は、明治天皇伝というより、「明治という時代」の歴史大絵巻である。そこには、明治天皇の私的な肉声というようなものは露骨にあらわれない(「明治天皇という人」[新潮文庫])、と。
もちろん、「昭和天皇実録」は「明治天皇紀」にくらべれば、天皇の神格化がなくなった戦後70年もたった時点での編さん・記述であるため、天皇の私的な感情や生活などもかなり具体的にのべられている。しかし、その具体的な記述もこれが年ごとの編年体であるために、天皇がある出来ごとについてはじめはどう思い、つぎにどう変わっていったかなどの思想の変化や人間への考察は、やや手薄になっている。
編年体というのは、中国の「春秋」にはじまり、「資治通鑑」などに典型的にあらわれた。日本では、天武天皇が編さんを命じた「日本書紀」が、この編年体による歴史編さんの方法である。
これと対立するのが、紀伝体である。歴史現象を、本紀(帝王の一代記)、列伝(民族や個人の伝記)、志(特殊分野の変遷)、表(制度の一覧)に分類して記述するものだ。これは、司馬遷が「史記」で試みた歴史叙述の方法であり、「漢書」がその代表である。中国の正史は、「漢書」以後、すべてこの方法がとられた。
それはともかく、「昭和天皇実録」はこの編年体の編さん方法をとりながら、ところによって紀伝体の特徴を生かしている。たとえば、昭和63年、A級戦犯を靖国神社に合祀したことに対する天皇の感想だろう。これは、編年体を無視して、昭和21年にはじまる戦没者御追悼関係の項目に収められている。天皇は、A級戦犯が天皇の了解をえずに靖国神社に合祀されていた事実にふれて、当時の宮内庁長官・富田朝彦に靖国参拝をとりやめた理由を、次のようにのべている(「富田メモ」による)。
「私は 或(あ)る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取(ママ)(鳥)までもが/筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが/松平(慶民)の子の今の宮司(松平永芳)がどう考えたのか 易々(やすやす)と/松平は 平和に強い考があったと思うのに/親の心子知らずと思っている/だから 私(は)あれ以来参拝していない/それが私の心だ」
天皇がここでのべているのは、天皇の意思に反してA級戦犯が靖国神社に合祀されて以来、「私」は靖国参拝をとりやめた、ということである。
この「富田メモ」が世に出た当時、わたしがテレビで右の趣旨をのべたところ、天皇がそんなことをいうはずがない、とか、天皇の靖国参拝がなくなったのは三木首相が靖国参拝を「私的」とのべてからだ、などと猛烈な批判をうけた。
しかし、こんどの「昭和天皇実録」では、「富田メモ」じたいは引用しないものの、明らかにこの「富田メモ」の趣旨を肯定し、A級戦犯合祀以来、天皇の靖国参拝が行われなくなった、と読めるように記述されている。編年体の編さん方式を逸脱しても、一連の歴史現象の始まりと変遷についてまとめて記述しておこうとしたわけである。
(まつもと・けんいち)