朝日新聞社謝罪会見に思う
廃刊・総退陣で出直せ
誤報への反省を感じられず
「慰安婦問題」の根拠として、長く虚偽・捏造(ねつぞう)報道であるとの批判を受けていたにも拘わらず、朝日新聞が事実として報道していた「吉田発言」にかかる報道は虚偽捏造のものであるとして撤回し、撤回時期が遅きに失したことを謝罪する公開会見があった。本「吉田発言」は、吉田清治なる怪しげな作家が捏造した「軍令による慰安婦強制連行」を事実として取り上げ、日韓の追跡調査により事実無根であることが判明、吉田本人も95年捏造であることを認めたにも拘わらず、朝日新聞は以降19年にわたり撤回せず、国連報告、米下院決議、韓国系国民による慰安婦像建立など我が国にとって極めて不名誉な国際的風潮を醸成する発信源となり続けてきたものである。公正を旨とするマスコミ大手としてあってはならない不祥事であるが若干の所見を披露する。
まず、今回の謝罪の本質論である。朝日新聞が犯してきた数多の反国家的報道は、かねてより批判を浴びてきたところであるが、今回の慰安婦関連報道で取りつづけた態度は反国民的かつ売国的レベルに及んでいる。マスコミとしては犯してはならない罪状にも拘わらず、誤報道、訂正時期の遅延といった矮小(わいしょう)化した技術的問題にすりかえ、これに謝罪し、本質論を回避せんとする意図が見え見えである。
本件は朝日新聞全体の存在を如何にするかという重大問題であり、「社長の進退を考える」といった軽々しいレベルではなく、深刻な反省の見えない噴飯ものの記者会見と見た。木村社長本人も、「報道の自由」という美辞麗句のもと、反体制的社風を生き抜いてきた「帝王」的雰囲気に終始し、極めて不快な印象を受けた。
謝罪会見をした朝日新聞が今やるべきことは多々あるが、贖罪(しょくざい)・改革の意味から、廃刊とすべきことが最良の選択肢と考えている。そして首脳陣は総退却し、部外の力を借りながら、若い階層中心に新経営陣を構築、再出発をすべきである。これが長年愛顧をうけた読者への誠心誠意の礼儀であろう。
筆者が現役時代付き合った現場の朝日新聞記者諸君は優秀な人が多かった。考え方に大きく違いがあるわけではない。しかし、現場の記事は、左翼的立場を堅持する経営方針のなかで、取捨選別され偏った立場の報道に歪曲(わいきょく)されていく例を長年見聞してきた。是非現場の若い力が生かされるような組織として再出発して欲しいと願うものである。
筆者現役の頃、よくあった記者会との「チョイ飲み会」の席上、「我が国が、今改革すべきものは」という話のなかで、「それは間違いなく不勉強で、自画自賛のマスコミです。このままでは国を傾ける」と力説していた若い記者のすがすがしい姿を思い浮かべる。
朝日新聞の捏造報道をトリガーとし、数々の対日抗議、反日論陣を張ってきた関係者への謝罪、釈明、今後の慰安婦問題への取り組みを説明することも極めて重要である。なかでも、強制連行なる虚報を元にした、国連人権委員会におけるクマラスワミ報告、米下院、蘭下院、カナダ下院、オーストラリア上院等において非難決議が行われ、その背景には我が国を貶(おとし)めようとする韓国系の動きがあることを直視すべきである。
朝日新聞はこれらの公式機関に対し、懇切なる釈明、謝罪を行うべきである。韓国紙はじめ「慰安婦」キャンペーンを行ってきた活動グループは、重要な根拠となる「証拠」の消滅という事態に対し、「強制連行だけが慰安婦問題ではない」「大きな問題を、強制連行といった問題に矮小化しようとしている」との反論を行っているようであるが、取ってつけたような反論で迫力はない。
政府においても、なすべきことは多い。悪名高い河野官房長官談話の見直し、報道倫理を如何に確立していくかといった重要な問題を回避するべきではない。国会においても、朝日新聞の喚問が取りざたされているが、実行すべきであろう。おそらくマスコミ側は挙(こぞ)って「言論統制」の恐れありとする論陣を張るであろうが、国民に対する国会の責任の見地から、事実関係の究明、捏造記事への糾弾は行わなければならない最小限の責務である。
一般国民の我々も、今回の事案をよく整理・咀嚼(そしゃく)し、報道に対し一方的吸収ではなく、扇動的報道に迷わされない冷静な視点を持つことが必要である。今回の謝罪は、東京電力吉田所長(吉田調書)に係る根拠のない誤報道とも重なり、窮地に立ったギリギリの選択といった感じが強い。故人となった東電吉田氏は、現場指揮官として被害局限に努め、海水注入の非常手段を敢行し、東北・関東により甚大な影響を与えたであろう災害を体を張って防止したことで、評価が高い。にも拘わらず、朝日は東電現地職員の9割が職場放棄して退避したと報じつづけ、吉田所長の指揮能力を誹謗(ひぼう)したのであるから、話にならない。
報道の分野は、厳しい競争の中にあり、一部突出した報道があるであろうことは理解するが、今回の朝日新聞の事案は、国を貶め、国民の世界からの評価に悪しき影響を与えた「捏造記事への固執により国家国民を陥れる」犯罪であることを強調し、国民的視点から今後の推移を注目し、糾弾の手を緩めてはならないと思う次第である。
(すぎやま・しげる)