実例「日本の恩人、ユダヤ人」
獨協大学教授 佐藤 唯行
近現代の国難に助け船
軍事、学芸、文化、産業など
近代以後、日本人とユダヤ人が出会ってから140年以上の歳月が経過した。このふたつの集団の相互関係は基本的に友好と親善が基調をなしてきたと言ってよい。その最も著名な実例は日本軍占領下の上海、満州における犬塚惟重海軍大佐、安江仙弘陸軍大佐によるユダヤ難民の救援事業。そして外交官、杉原千畝によるユダヤ難民へのビザ発給の美談といえよう。
日本人の中にはユダヤ・イスラエルに対して特別な思い入れや親近感を抱く人々が昔から存在してきた。その代表は尚武の気風を尊ぶ右派の人々だ。「侍の心を残した日本人」と表現してもよい人々だ。彼らにとり、ユダヤ難民が築いたイスラエルという国は戦後日本が喪失してしまった美徳を無から創造した理想の国と映じているはずだ。
主に東欧出身の社会主義者からなるユダヤ難民によって建国されたイスラエルは、社会主義国家と言ってもよい状態からスタートしながら、右傾化に次ぐ右傾化を重ね、今日ではネタニヤフ右派政権率いる中東最大の軍事大国へと変貌を遂げてしまったからだ。戦前、「誇り高きもののふ」だった日本人が戦後、失ってしまった美徳(即ち、国の為に身命を賭して戦う覚悟)をかつて「賎しい商人」だったユダヤ人たちがイスラエルの地で、短期間のうちに我が物としてしまったあり様に、日本の右翼は驚嘆したのである。
親近感を抱く理由はそればかりではない。
近現代の日本史において、ユダヤと日本が特別な関係にあり、ユダヤ・パワーが日本に大きな恩恵を及ぼしてきた「知られざる事実」を少なからぬ日本人が薄々感づいているからであろう。
日本がユダヤに見捨てられ、ユダヤ・パワーの力添えが得られなかったとしたら一体どうなっていたのかという仮定のもとに日本近現代史を再検討してみよう。そこには背筋が寒くなる、そら恐ろしい悪夢が展開しているはずだ。まずは未曽有の国難、日露戦争からみてみよう。仮に欧米の金融市場でユダヤ人銀行家たちの対日資金協力が得られず、またロシア陸軍の精鋭師団20万人を属領ポーランドに釘付けにした「ユダヤ人労働者総同盟」による対露反乱が成功しなければ、日本の勝利は到底覚束なかったはずだ。その結果はどうなるのか。日本海、東シナ海のシーレーンはロシアに奪われ、大陸市場に販路を拡大することで未だ揺籃期(ようらんき)にある脆弱(ぜいじゃく)な国内産業を急速に育成する道筋は閉ざされ、日本資本主義発展の芽は絶たれ、国家的にもジリ貧状態に陥ることは必定であった。だが、これは最も楽観的な想定で、最悪のシナリオはロシアの属領にされていたかもしれないのだ。
次に物理、化学、医学、数学といった学問分野だが、明治の昔から、実に多くの日本人学究がユダヤ系の指導的研究者に師事し、その薫陶のもと世界水準の業績をあげてきた事実については本紙でも紹介したことがあった。
そしてこの師弟パターンは今日のノーベル賞受賞者に至るまで脈々と継承されているのである。もしユダヤ系の指導的研究者の学恩を得られなかったとすれば、日本科学界の水準は余程低いレベルに甘んじていたはずだろう。同じことは1920年代中頃から30年代における日本オーケストラの創成についてもあてはまる。黎明期(れいめいき)日本洋楽界において亡命ユダヤ系音楽家たちは決定的な役割を果たしているからだ。
戦後日本社会の民主化を決定づけたGHQ(連合国軍総司令部)による対日占領改革においてもユダヤ系は極めて大きな役割を担った。彼らは米ルーズベルト政権に文官として登用されたユダヤ系のニューディーラーであった。共和党保守派による強い反対のために本国では実現できなかった「徹底した民主化」を実現するため敗戦国日本に乗り込んできたのだ。彼らが主導した民主憲法制定については日本の保守派論客から厳しい批判が相次いでいることは百も承知だが、同じくユダヤ系が主導した農地改革については論客たちもケチをつけることは難しいはずだ。地主勢力が温存され、農村の貧困解消が遅れれば、多くの日本農民が共産党の支持基盤に取り込まれてゆく可能性があったからだ。
最後にビジネスだが1872年に営業を開始した新橋・横浜間を結ぶ日本最初の鉄道建設事業に必要な資金を調達してくれたのが英ユダヤ財閥ロスチャイルド家であった事実に象徴されるように、ユダヤ系は我が国の産業インフラ整備に重要な貢献を果たしているのだ。この分野でユダヤ系とのネットワーク作りに最も尽力したのが明治日本の産業の将帥、積極的外資導入論者だった渋沢栄一と蔵相、宰相を務めた高橋是清だ。両者が築いた英米ユダヤ大富豪との人脈は世代を超えて受け継がれ、第二次大戦後の復興資金調達に大いに役立ったのである。
このようにユダヤ人が近現代日本の国防・軍事、学芸・文化、産業資金調達を応援してくれた秘話は枚挙にいとまがないほどである。「日本の恩人、ユダヤ人」と筆者が呼ぶゆえんである。
(さとう・ただゆき)