国連「敵国条項」史観克服を
反日イメージ拡散の源
誤解は正していくのが責務
暑い夏日の8月15日(1945年)は、「大東亜戦争」(アメリカ風に言えば太平洋戦争)終戦の「詔書奉戴記念日」で、日本によるポツダム宣言受諾の発表日だった。(当時、朝からのラジオ放送は12時に重大放送があると繰り返していたが、まさか敗戦とは中学3年の筆者も想像していなかった)。事実上の戦闘終結(ソ連がらみを除く)だが、真の終戦は降伏文書の署名、調印が行われた9月2日だった。すなわち、同日東京湾に入港していた戦艦ミズーリ号艦上で、マッカーサー最高司令官及び連合国各国代表と日本側重光・梅津両全権との間で降伏文書の調印式が行われたのである。
したがって、正式な終戦日は9月2日ということになる。さらに、1952年4月28日の対日平和条約の発効をもって日本が独立を回復した点については、筆者が以前指摘しておいたとおりである。
そこで、前大戦における日本の位置付けはどうなっているのか。1945年6月26日(沖縄戦が終結した数日後)にサンフランシスコにおいて署名された国連憲章においては、その発足当時の原加盟国にとって日本は敵国であった。そして、その第107条は「旧敵国…日独等」に対して「この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない」と規定していた。これが所謂(いわゆる)「敵国条項」といわれ、「侵略政策」に対する防止措置であると喧伝された。これはまさに、その後行われ、現在まで続く東京裁判史観の表明といってよい。残念ながら、この敵国条項については現在に至るまで削除できない情況にある。ただ同時にこの戦争には、国家の自存自衛を基礎とし、アジア諸民族を欧米列強から解放する、例えば「宣戦の大詔」との大義名分があった。即ちわが国にはそれなりの道理も正義もあったのだ。
以上の二つの史観は真向から対立する。終戦後間もない時期には米国の占領政策の影響で「何が何でも日本が悪かった…」という観念が蔓延し、学校教育においてもかかる影響を免れなかった。すなわち、日本の言い分については、国内においても反動とか極右主義とか批判されたものだ。「逆コース」という批判は当時から存在した。今に至るも他国(特に近隣の反日国家)から歴史修正主義として敵意と憎悪が向けられている。
そもそも、米国の戦後日本統治の眼目は「日本を再び米国等に立ち向かわせないため、精神的にも骨抜きにする」ことだった。そして、これは当初大成功を収めた。しかし、日本人もバカではなかった。ルーズヴェルトとスターリンの野合ともいうべき癒着は日ならずして破綻した。そもそも、西欧の欧米資本主義がマルキシズムと両立できる筈がないとの認識に欠けていたのだ。かくして長期間にわたる東西対立の時代が続いた。
今やわが国にとってかかる東京裁判史観を見直し、改訂すべきものは改訂するときが来たと認識すべきであろう。これを阻むものは何か。言うまでもなく、先ずは、北朝鮮は言わずもがな、中・韓両国、それに日本がこれら両国との関係悪化に陥らぬよう常に口煩(うるさ)い米国であろう。同時に日本国内にもこれら諸国を「刺激しない」よう自制を求める向きがある。これこそが、外敵勢力の付け目である。
すなわち、日本が世界に向けて正当な歴史認識を発信する際に、国内に存在する「反日」ともいうべき分子とも戦い続ける必要がある。筆者はあえて「反日」と呼んだが、その意図が何処にあれ、結果として日本のためにならぬのは明らかであろう。これは大きな負担だが、これを克服した上でないと、隣国との論争において「挙国一致」の態勢に達することは困難であろう。
戦後日本は希有な幸運に恵まれて、復興・再建を果たし、今や押しも押されもせぬ大国としての責任を果たすべき事態に直面している。ここに戦後69年。何時までも「国連憲章史観」とか「東京裁判史観」に拘泥し続けるときではない。連合国の正義については、勇気をもって修正を求めるべきだろうし、戦後わが国が70年近くかけて到達した歴史の真相を世界に向け発信して行く機会が来ている。
筆者が常々主張してきたように日本人は人が良すぎて内向的だ。「以心伝心」というのは日本人の間だけに通ずる考えであり、世界には通用しない。外に対しては飽く迄「理詰め」、すなわち先方が納得できるまで議論し、場合によっては激しく論破する覚悟を要する。確かに日本軍が戦争中無辜(むこ)の人民を傷つけた事例もあろう。それが、漫画等で「悪逆非道」な日本軍というイメージに繋がりもした。吾人等が70年の歳月をかけ苦心惨憺の結果学んだ歴史の真相を世界に向けて発信し、些(いささ)かの誤解があればこれを正していくのが我々の責務であろう。さもないと、誤解に満ちた日本のイメージが広まるとともに、これが歴史の「真実」として世に拡散していくのを怖れる。
この際、筆者は昔学習したトーマス・ホッブス(1588~1679)の哲学を思い出した。曰く「世の中は『万人の万人に対する闘争』」である。今や世界は不安定の時代に入った。わが国も相応の覚悟をもってこれにあたりたい。
(おおた・まさとし)