気掛かりな浅草寺仏像破壊
過激なイスラムの時代
他人事ではない異教の排除
この地球上に生まれた人類(ホモサピエンス)は、動物では同じであっても、哲学的に言えば「叡知人」ということになり、最もすぐれているということらしい。ところがそうは言っても、人は生まれた土地や国柄が違えば、もう互いの理解は容易なことでない。
まあなんの因果か運命の皮肉なのか、十代の末のまだ子供の頃から、たまたま隣家に住んでいた何世帯かのアメリカ人夫婦が、ときどき夫婦喧嘩をするので、その仲裁をしなくてはならず、これは厭なことだった。しかし、ここから学んだ貴重な教訓があった。
日本人のように同国人同士の場合なら、まあたいした問題はないようなのだが、これがひとたび国籍が違ったりすると、もう仲裁の労など絶望に近い。見た目はそっくり同じなのだが、体を流れる血が違うと相い和すなど夢の夢なのだ。こうした喧嘩の話し合いで思い出されるのは、国際紛争での調停である。現在の日本と中韓両国との争いでも、明らかであろう。話し合いと説得工作で一時的友好関係が生まれても、すぐに壊れてしまうからだ。子供にはほとんど理解の及ぶところではなかったのだが、お互いの複雑な民族関係と、さらにこれに加えて宗教の相違や政治問題まで絡んでくると、もう解決の手がない。
前口上が長すぎてしまったが、この6月に(私にとっては)特に気掛かりな上、嫌な事件が東京浅草で起こった。伝える新聞記事も小さく、ただ事実の報道だけで詳細なニュースはあと続かなかったようだ。こんなことは日々毎度のことで、余程大きな事件が後に続かぬ限り、これでお終いである。
いま少し詳しくふれると、浅草(せんそう)寺にある観音菩薩像一体と地蔵像三体が、破壊されたことだった。私にとってはこれは最近のささやかなニュースの中でも、一番印象に残ったものだった。妙に気にかかったとはいえ、一般の人にはほとんど関心も注意を引くものではなかったかもしれない。
この神像の破壊は、たまたま酒でも飲んで石仏像を落として割ったというのでなく、明らかに意図的に異国の神像を壊したことで、この他にも例があるという。犯人はサウジアラビア国籍の日本に留学中の大学院の学生だったといい、単なる遊び心ではなかったらしい。
日本人には分かったようで、ほとんど理解し難いのは、単なる民族の相違だけでなく、そこに宗教が絡んでくることである。前にもちょっとふれた外国人の夫婦喧嘩にも、きまって民族の違いと同時に、宗教が関わってくる。新聞記事には一切ふれていないが、中東出身の学生には、異文化と他宗教に強い反発があったのだろう。
いま世界で起こっている深刻な事件を改めて通観してみると、中東はほとんど戦争状態である。イラン、イラク、シリア、それに東はアフガン、パキスタン、新疆のウイグル地域。西に転じればイスラエルとパレスチナ、北はトルコとクルド、さらにクリミア半島とウクライナ、その大半がイスラム圏である。しかし、それらがただ単なる揉(も)め事などではない。深刻な戦争である。われわれ日本人にはいくら説明されたって分からない基本がイスラム教である。本来は一つと思えるイスラム教に、大きくシーア派とスンニー派とがある。まだ19世紀のころには、メッカ巡礼を済ましてアラビア方面からペルシア(イラン)に戻っていくシーア派の巡礼者たちを、道傍に立ち並んだスンニー派の信徒たちは殴りつけていた。しかし、いまではこんな生温いことなどしない。相手かまわず射殺も辞さない。時代はますます過激になった。
かつてシベリア、モンゴル地方から、シルクロードを横断して西域地方を抜け、チベット、ネパールへといろいろなルートをたどって旅したことがある。この地はかつて仏教が栄え、沢山の寺院や礼拝所があった。しかし現在、これらはことごとく破壊され、焼き払われてしまった。そして印象的だったのは、こうしたかつての仏教寺院の跡は、ヒンズー教や大概がイスラム教の礼拝所に替わっていることだった。ただ現在のガンダーラ地方は石造りの建物だったので、改築ができなかったようだ。
こんなこと他人事のように思っている人がきっといるだろうが、現実はそう甘くない。日本にも沢山の中東出身の人たちが入って来ている。熱狂的なイスラム信奉者になれば、異教の神を祀った所は排除しなくてはならないと考えても、おかしくはない。こんなことないと思っている人もいるだろうが、大きな由緒ある仏教寺院と神社がわが国で相継いで焼却した例を、私も見て知っている。近年のことだ。その気になれば、奈良や京都の寺院群など、地上から消却してしまうことなど、造作もないことだろう。
いまのままでいけば、21世紀はイスラムを除いては考えられない、イスラムを中心とした世界になる可能性が大きい。そのことをいまから対処して考えているだろうか。
(かねこ・たみお)