悩ましくなる神功皇后の謎

松本 健一麗澤大学教授・評論家 松本 健一

応神天皇出生の秘密は

「論賛」から「天の血脈」まで

 このところ神功(じんぐう)皇后のことが気にかかっている。神功皇后といえば、まずは「三韓征伐」であり、戦後生まれのわたしたちは、あれは神話上の出来ごとであって歴史的事実ではない、と考える思潮のなかで育った。

 ところが、神功皇后のことを記した『日本書紀』なども歴史的事実をふまえた神話化であるという評価が近年高まったこともあって、神功皇后の実在性やかの女の新羅との関わりも歴史的に実証されるようになってきた。しかし、それだけでは、わたし自身、神功皇后のことが気にかかる理由にはならない。

 きっかけは、『「孟子」の革命思想と日本』という本をつくるにあたって、安積(あさか)澹泊(たんぱく)の「論賛」を読み直したことであったろうか。安積澹泊は前期水戸学の中心的人物で、幕末史を動かした水戸藩の『大日本史』の編纂にたずさわった。のち、「水戸黄門漫遊記」で黄門さま(徳川光圀(みつくに))に付き従った格(かく)さんのモデルとされている。

 20年あまりまえ、水戸学について一冊本を書いてくれ、といわれたことがあり、そのとき一度、澹泊の「論賛」についても目を通していた。しかし、その企画は担当編集者が定年退職してしまったこともあり、わたしが『開国・維新』(「日本の近代」1、1998年刊。現在は中公文庫)で後期水戸学に興味の中心を移してしまったこともあって、実現しなかった。

 ところが、澹泊の「論賛」を読み直すことによって、急に神功皇后の存在が気にかかりはじめた。「論賛」は澹泊が『大日本史』の意味について書いた文章で、特にその「三大特筆」を指摘している。

 澹泊は13歳のとき、滅亡した明国から日本に亡命してきた儒学者・朱舜水(しゅんすい)に江戸で師事し、その才を愛された。しかし、痘(とう)を病んだため3年で帰郷した。28歳の時、水戸彰考館に入り、元禄6年(1693)その総裁となり、没するまで54年間にわたって、『大日本史』の完成に力を尽くした。それゆえ、かれが『大日本史』の「三大特筆」を明らかにする最適任者だったわけである。

 さて、その「三大特筆」であるが、わたしがまずそこで読み直そうとしたのは、天武天皇とその壬申(じんしん)の乱(672年)における易姓革命との関わりであった。壬申の乱は、天智天皇の没後、第一皇子の大友皇子が皇位を継ぐことになったが、皇太子を辞め、いちど吉野にこもった皇弟の大海人皇子が近江朝廷に対して起こした反乱である。1カ月あまりの激戦に敗れた大友皇子は自殺するに至り、大海人皇子が飛鳥浄御原(きよみはら)宮で即位し、天武天皇となったのである。このため、天武天皇が皇子の舎人(とねり)親王に編纂を命じた『日本書紀』では、皇位は天智から天武に遷り、大友皇子は即位していないことになる。

 ところが、安積澹泊が編纂した『大日本史』では、大友皇子の即位を認め、「天皇大友紀」をたてた。その結果、明治維新後に大友皇子は弘文天皇という諡号(しごう)を贈られることになった。

 「三大特筆」は次に、南朝を正統としたことである。その結果、明治の終わりになって、北朝の系譜をひく明治天皇も南朝に正統性を認めることになった。

 三番目は、神功皇后を天皇本紀に入れずに、皇妃伝に列せしめたことである。つまり、澹泊の考えでは、神功皇后は夫の仲哀天皇が死んだあとも「摂政」の地位に留まりつづけたが、これは即位していない皇后としては僭越である、と非難したのである。

 これに対してわたしは、『日本書紀』などを改めて読んで、神功皇后の「三韓征伐」をふくむ華々しい事蹟を確かめなおさなければならない、と考えるようになった。すると、親しくしていた森浩一さん(2013年没)が『記紀の考古学』(2005年刊、朝日文庫)で推測していたように――仲哀天皇はほんとうに病気で亡くなったのか。そうではなく、「神」の言葉に叛いたため、神功皇后(および武内宿禰(すくね))によって「死に至らしめ」られたのではないか、と疑いを抱くようになった。

 ついでにいうと、ホムタ別(わけ)(=応神天皇)の母が神功皇后であることに間違いないとしても、父はほんとうに仲哀天皇なのか。仲哀天皇は神功皇后が新羅に向かうまえに亡くなっている。それに、神功皇后がホムタ別を産んだのは、新羅での戦闘に勝利し凱旋した筑紫でのことなのである。

 そんな悩ましい謎に身をまかせていたところ、『天の血脈』(講談社)を連載中の旧知のマンガ家の安彦良和さんから、その第4巻のための対談に呼ばれた。

 このマンガの主人公、安積(あづみ)亮(りょう)(信州・諏訪出身で安曇族の後裔?)は、日露戦争前後の一高生で、古代高句麗(こうくり)の第19代王、広開土(こうかいど)王(=好太王)碑を研究するため満州に赴いて以来、神功皇后の夢を見るようになった。その夢に、右翼浪人でアジア雄飛=満州侵略を画策する内田良平が介入する。

 マンガでは内田が安積亮の先生である歴史学者の嬉田(うれしだ)に、「応神天皇の本(・)当(・)の父親は誰だと思うかね?」と問う。これに対して嬉田は、神功皇后が懐妊したのは新羅遠征中だから「父親は同行していた大臣・武内宿禰以外考えられん!!」というのである。

 さあ、マンガといえども、悩ましいことになってきた。

(まつもと・けんいち)