特攻隊員の慰霊に心遣いを
多くは学徒・少年たち
国と社会で真の追悼しよう
今年も北の郷を残し、桜の季節が過ぎて行った。絢爛と咲き誇り、未練気もなく豪華に散っていく桜を見るたび、「靖国神社の桜と成って、咲いて会おう」と健気に散って行った特攻隊の若き戦没者に万感の思いを馳せざるを得ない。筆者の年代からは「お兄さん」世代にあたり、一段と近い感覚がある。隣のお兄さんも、学徒出陣され、飛行訓練を受け、特攻隊員として出撃直前宮崎で終戦、尾羽打ち枯らして復員、「死にそびれました」と両手をついて号泣されていた姿を思い出す。
そのお兄さんは、関西財界で活躍され、長年ご厚誼頂いたが、昨年他界され、時代の移ろいを痛感する。彼も、同期生会、戦友会を通じて慰霊事業には種々尽力されていたが、このような存在もめっきり減少している。特攻隊戦没者の慰霊に関しては、本来、国が特別の心遣いをして然るべきと考えるが、特段の慰霊・追悼は行われず、戦没者全般に含んで行われているのが現状で、何とか改善しなければと考えている。
百田尚樹氏の「永遠の0」が売れに売れているという。最近の帯では380万部を超えたそうである。お読みになった方が多いと思うが、このヒット作の主人公は悲壮な死を遂げた特攻隊員である。主人公の孫に当たる姉弟が、祖父の事を追跡する物語であるが、作者の劇的構成の素晴らしさから、読者を惹きつけて止まない。筆者も数回読み返したし、映画化された作品も鑑賞し、感動の極みを味わった。
何より有難いと思うのは、戦後69年、世代交代の現実を超えて、「特別攻撃隊戦没者」を悼む心が、今なお大衆の心を揺さぶる力を持ち続けていることである。別の言い方をすれば、わが国民は、特別攻撃隊員という「この上ない厳しい状況の中で殉職していった存在」を決して忘れてないことであろう。そして、特攻隊員として出撃した隊員の多くは、昭和18年後半に戦況悪化する中、大量動員された所謂「学徒」(大学等高等教育繰り上げ卒業者)、大量採用した少年飛行兵(陸軍)、飛行予科練習生(海軍)出身者で、国家今際の時、「ペンを銃に持ち替えて」雄々しく散って行った人達であることを忘れてはならない。
筆者はかつて本欄で、戦没者慰霊については、国としてのヘリテージ(継承すべき伝統)としての認識と慰霊施策の強化、今までその勤めを果たしてきた旧軍籍にあった人達の誠意への感謝、延々とその役割を果たしてきた厚生労働省のご苦労と今後の防衛省・自衛隊による役割分担を訴えたが、特攻隊戦没者については特にその感を強く持つ。
昭和19年10月に始まった特攻攻撃は、終戦まで7000名を超える戦没者を数える。殆どが未婚者で、両親・兄弟の高齢化に伴い、個人的に慰霊を継承する人達は急激にその数を減らしつつあるのが現状である。是非、国家的施策により戦没者への慰霊が風化するのを防止すべきと考えている。
特攻隊員の慰霊について、次の三点を強調しておきたい。第一点は、国家存亡の危機に若い命を、国に捧げた人達に、後世に生きる者として、「純粋に」哀悼の意を持ち続け、風化させてはならないと言う事で、国民として当然の精神的義務である。第二点は、人間はともすれば安易・享楽に流されがちな業(ごう)を持っている。平和・繁栄の世相では、特にその傾向が強い。それはそれで結構なことではあるが、反面、より高次の、より充実した自己への進歩を目指して「腕に力は抜けていないか」と厳しく反省をすることも忘れてはならない。そのような時、国のため若くして散った特攻隊英霊の心情に思いを馳せ、己を奮い立たせるトリガーとすることが何よりの「慰霊」になると考えている。
第三点は、国の矜持(きょうじ)、社稷(しゃしょく)のあり方の観点から振り返る時、果たして若く散った英霊方に、現状は誇れるものなのか、申し開きできるものなのかといった思考を巡らし、反省自戒の起点とすべきことである。それが国として、あるいは社会として果たすべき真の追悼の心であろう。
先述の百田氏の「永遠の0」の文中、左翼系の有力ジャーナリストが、特攻隊員を「洗脳されたテロリスト」として扱(こ)き下ろす件がある。「住む世界が違った」と言えばそれまでだが、そんな卑怯な考えが存在したのかと心寒くなる心境となった。幸いこの考えの持ち主は、文中、元学徒の著名経済人に理論的に切って捨てられ、恋人であった主人公の孫娘からも捨てられることとなり、百田氏が力点を置いた大きな主張となっている。それにしても、左翼系と言われる人達の中には、そこまで事実を、自己流に悪意をもって解釈し、主義主張を貫こうとするのか理解に苦しむ。
一昨年公共テレビ放送で、戦後間もなく、海軍航空特攻隊員の遺族を篤志者が歴訪し、遺族が保有する遺書を書き写し、あるいは提供され、第2復員局で取りまとめた件について特集番組があった。実物は海上自衛隊で保管され、一部は資料館で一般公開されている。ところが、本番組の与えたイメージは、篤志者を不怪な人物とし、海軍関係者が「何らかの魂胆を持って行った」ということであり、およそ英霊・遺族への哀悼の面からは程遠い内容で、左翼的症候群の尾を引く番組であった。戦後も遠くなったこの時代、「純粋な気持」で追悼の心を持ち続けたいと思う次第である。
(すぎやま・しげる)






