諸民族が交差してきたソチ
複雑なカフカスの歴史
難を逃れた遊牧民の仏教徒
2014年の冬季オリンピックが閉幕し、今度はパラリンピックが開幕する。ロシア南西部のソチという町の名は、知っていた人もごく限られていたのではなかったろうか。この地が冬季オリンピック開催地に選ばれたのは、プーチン大統領の即決だったらしいが、美しく、魅力たっぷりの地で開き、世界から集まった人たちに誇りをもって見せたかったからにちがいない。
ソチは、黒海の東海岸にある港町で、この周辺一帯は、古代から歴史の一杯に詰まった土地だったにもかかわらず、町はきわめて単純なもので、私などまるっきり知らず横目で通り過ぎただけだった。ここはどうやら、鉱泉の湧くリゾート地として知られていたらしい。
西に黒海、東にカスピ海に臨むこの辺りの地形は、東西この間わずか600㌔㍍ほどの狭いもので、ちょうど南北に通ずる陸橋のような所である。ここを北に抜けるとロシア本国に、南に抜けるとトルコとイランに接し、実に入り組んだ複雑な土地といえよう。
スポーツ競技の立場から見たら、こんなことはまるっきり関係のないことだが、この地ほど複雑な人類の歴史問題が凝縮している所も、ないのではないかと思う。世界各地から各々異なった民族が集まる以上、うってつけの場所ではないだろうか。ちょっと拾ってみても、ソチのすぐ南を東西に走るのがカフカス山脈、ここから南にあるアララット山は例のノアの方舟(はこぶね)の舞台であり、またソチの反対側のカスピ海西岸にあるバクー港は、拝火教(ゾロアスター教)の発祥地といわれ、いまでもイランに行けば、この教団が活動していることを知る。
スポーツをただ単に勝ち負けだけで見るなら別だが、今回のような場合、歴史的背景をちょっと覗(のぞ)き見するのも、あながち無駄ではないような気がする。なにしろ数千年以上前から、西の地中海地方から東方へ向かう場合、旅行者は黒海を船で渡ってくることが多かった。今回のオリンピック大会の場合、聖火は約6万5000㌔㍍も広大なロシア全土をめぐってソチに着いたが、昔ならかつてギリシア人が渡って来たように、オリンピアからエーゲ海を抜けてもたらされたにちがいない。
この開催地となったカフカス地方に近接する土地は、民族学的にも宗教学的にみても、日本人にとってまったく縁のない土地だったろう。
かつて自動車や航空機が十分発達していなかった時代、ヨーロッパから中東方面に行く場合、この黒海経由のルートは一番時間も距離も短くて済み、経済的にも安く安全ということで利用されてきた。交易にも大いに利用されていた。いい例に、ペルシア産のトルコ石も、中央アジア原産のチューリップも、交易の中心地トルコを経由したことから、これらがあたかも自国産の産物として、広くヨーロッパで販売されたのだった。
ところがなんでもいいことずくめでないことが、むずかしい点であろう。ここにきて予想していなかったことが生じる気配を、見せ始めたからだ。イスラム過激派によるテロ活動である。この辺り一帯、いわゆる中東から中央アジアにかけては、住民の大半はイスラム教徒であり、各宗派間での争いはあってもイスラム教以外の他宗教や民族にまで、積極的攻撃することは、近年に至るまでなかったし、意識されることもなかった。ところがこのイスラム過激派のテロ活動が、まったく無視できなくなったのが、一番の問題点であろう。この地方一帯は、日本人には古来まったく関わりなかったのだから問題はない、というわけにどうやらいかなくなったようだ。
ではこの周辺の土地は、日本人にまったく関係なかったのかとなると、ごく間接的にきわめてわずかながら、縁というか関わりが出てくる。それは宗教的なものである。
カスピ海の北先端部に、ロシアで名高いヴォルガ河が流れ込むが、ここに17世紀初め、トルグート族(モンゴル族)が移住し、遊牧生活をしていた。人口はざっと二、三十万人いたようである。ただ彼らの周囲を取り巻く諸民族のうちロシア人やコサックなどといったキリスト教徒、また現地人はイスラム教徒だったので、仏教徒だった彼らとはどうも肌に合わなかったらしい。そこでとうとう1771年、彼らは一族を伴って故国モンゴルに帰る決意を固めたらしい。
ところがこれは言うほど簡単なことではない。時のロシアの女帝エカテリーナは彼らを追撃させ、コサックとキルギス族を使って撲滅作戦を開始した。この結果、カザッフの原野はほとんど死体で埋まったという。5カ月の旅で死者は25万だったという。かろうじて生きのびた数万人が、新疆北西部イリに着いた時、助けに出てくれたのが清朝のシナ兵士だったという。この事件が起きてからすでに茫洋200年以上たち、もうなんの思い出も遺っていないと思っていたら、かつて新疆のカラシアール地方を旅したとき、なんと私のために当時の残留者たちの、100人以上の若者や女性たちが、満月の晩、環を作って歓迎の式をしてくれたのだった。仏教の国からの来訪者だったかららしい。日本にいると分からない宗教のむずかしさである。
(かねこ・たみお)