特定秘密保護法制定に思う
先進各国より甘い制度
メディアのあり方検討を
我が国をとりまく安全保障環境は、民主党政権の内外政策の後遺症やオバマ大統領の「もはやアメリカは世界の警察官ではない」に象徴される米国の国力低下、それを見越した中国の政治的・軍事的台頭による「一方的な現状変更を図る動き」など、ここ数年で激変している。
この国際状況の激変に対応する一つとして、長く待たれた国家安全保障会議設置法と特定秘密保護法が旧臘(きゅうろう)に制定された。
すぐさま国家安全保障会議及び閣議で決定された外交・防衛の基本方針を示す「国家安全保障戦略」において、中国は「既存の国際秩序とは相容れない独自の主張に基づき、力による現状変更の試みとみられる対応を示している」と分析している。「試み」は抑制した表現で、ここ10年で軍事費を4倍増した中国はすでに、米国に対し太平洋を二分して支配しようと提案もしている。昨年4月訪中したケリー国務長官に対し、習近平国家主席は満面の笑みを浮かべながら「先ごろオバマ大統領との電話会談で中米の協力関係を強化し『新型大国関係』の構築を模索することで合意した」と語った。
このように状況が激変しているのだからこそ、「外交・安全保障に関わる情報保全体制の強化=特定秘密保護法制定は、国家の存立と国民の生命を守るために必要不可欠のもの」なのである。これに相当する法律は米、英、独、仏…と主要各国にあり、我が国もようやく先進国並みの情報保全体制が整備されたのである。
といっても、寛大な法律である。米国の防諜(ぼうちょう)法では機密漏洩(ろうえい)には死刑を含む刑罰を定めている。スノーデン元CIA職員が秘密暴露後恐れたのも厳しい刑罰の故である。今回の特定秘密保護法(以下同法)は、公務員で最高刑10年、国会議員を含む非公務員は5年の刑である。新たにスパイ防止法が必要な所以(ゆえん)である。同法では、「別表」に掲げた防衛、外交、特定有害活動の防止、テロリズムの防止に関する情報のうち、特に秘匿する必要のあるものを特定秘密に指定する。この法律は、国民を、日本の領土を、そして国益を守るためのものである。
英国では公務秘密法(1911年制定、1989年改正)があり、政府の有する秘密の漏洩に関して定めている。
第2次大戦後に作られたヨーロッパ人権条約第10条(表現の自由)2項でも、自由の行使には義務と責任がともなうので、国家の利益(国家の安全、領土保全、公共の安全など)のため情報の漏洩防止に関し、法に基づく罰則があり得る、と定めている。
英国は、国家の安全と表現の自由の問題について、公務秘密法制定の翌年、政府とメディアの代表による委員会を立ち上げ、国家の安全上問題となる報道に関する助言・通告する制度を作った。現在、それは国防・メディア合同諮問委員会(The Defence, Press and Broadcasting Advisory Commitee)となり、DAノーティス(Defence Advisory Notice)制度となっている。国家の安全のため、問題となりそうなメディアの報道や出版を事前に委員会で検討・協議し、勧告する。法的強制力はなく、メディアが自己の判断で自粛する制度である。スノーデン暴露事件で、英ガーディアン紙もこの制度のもとに報道している。
日本のメディアは、「日本は戦争をするのか」「いつかきた道」とか「治安維持法の復活」と感情論を煽(あお)ったが、国家的見地からメディアのあり方を同法制定と絡めて考えることがあったのだろうか。
民主主義とは「期限を区切った独裁」を持論とする菅首相在任時の2010年の中国漁船体当たり事件で、公憤に駈られた海上保安官が映像を流した一件と秘密保護法について、安倍首相は産経新聞(13年12月7日付)で以下の旨を語っている。
――毎日新聞は「国家公務員が政権の方針と国会の判断に公然と異を唱えた『倒閣運動』」と激しく非難し、朝日新聞は「政府や国会の意思に反することであり、許されない」と書いている。現在の姿勢とのダブルスタンダード(二重基準)には唖然(あぜん)とする。問題は、誰がどのようなルールで秘密を決めるかであり、衝突映像はそもそも秘密にすべきものではなかった。日本の国益のためにはむしろ、国際社会に示さなければならなかった。(菅政権は)全く誤った、致命的な判断ミスをした。秘密に指定したのは菅首相なのか仙谷由人官房長官(当時)なのか分からない。ジャーナリズムはむしろ、そういう点を追及すべきだと思う。今後は、秘密を指定する基準が決まるから、こうしたことはもう起こらなくなる――。
メディアや野党が戦争や人権と結びつける批判は、日米安全保障条約改定、国連平和維持活動(PKO)法、通信傍受法、防犯カメラの導入、防衛庁の省昇格においてと枚挙にいとまがない。ではその後、彼らが批判し騒ぎ立てたような事例が起こったのかと問いたい。
メディアや非現実的反戦平和主義者が騒ぎ立てることを、自信をもって実行すれば間違いのない普通の自立国家に近づくという仮説が成り立つ事例である。
(いぬい・いちう)