セダカの伝統守る「慈善の民」
獨協大学教授 佐藤 唯行
温情主義のユダヤ企業家
福祉・教育事業にも莫大な献金
ユダヤ人を形容する枕詞(まくらことば)の一つに「慈善の民」という言葉がある。それを裏付ける統計的数値もある。1997年の調査によれば、英国ユダヤ人は人口比6倍の割合で慈善金を拠出しているのだ。年収3万~5万ポンドの英国ユダヤ人を対象とした2013年の調査結果も興味深い。年に1万ポンド以上も寄付してしまう奇特な篤志家が1%存在し、年2000~1万ポンドを献金する者は8%に達していることを示しているからだ。平均的な所得層の慈善への傾倒ぶりを示して余りある数値と言えよう。
幼少時から寄付の習慣
「慈善に応じる」ことはユダヤ人のアイデンティティーにとり、極めて重要なのだ。13年の世論調査によれば「慈善に応じることは大切」と答えたユダヤ人は77%に達している。「イスラエルを支持する」の69%を上回る数値だ。献金先はユダヤ教・イスラエル関連にとどまらない。より大きな金額が英国全体の福祉・教育へ献じられているのだ。
慈善精神が育まれた背景にはセダカ(ヘブライ語で慈善を意味する)の伝統があった。セダカはキリスト教の慈善、チャリティーと比べると余程(よほど)縛りがきつい。弱者を助ける行いを「貴い自発的行為」と位置付けるチャリティーに対し、セダカは「社会の一員が果たすべき義務」と定めているからだ。
篤信のユダヤ教徒家庭では、幼少の頃よりセダカの作法を守るよう躾(しつ)けられるのだ。例えば幾つもの献金箱が家庭内に置かれ、子供たちは家の手伝いをしてお駄賃をもらうと、どんな少額でもその一部を必ず献金箱に入れるよう教え込まれる。貯(た)めた小銭は貧しい人々に渡すために回収されるのだ。
もう一つの背景は「ユダヤ人は守銭奴」という世間の偏見を是が非でも拭い去らねばならぬというプレッシャーの存在だろう。
それ故に自社の従業員に対し殊更(ことさら)温情主義で接したり、社会貢献のため惜しみなく私財を投げ出したりするユダヤ企業家は珍しくないのである。英国を代表する老舗小売業マークス&スペンサーの社主一族もそのような人々だった。
2代目会長サイモン・マークスは大恐慌下、食費を切り詰めている従業員がいることを知ると、温かい食事を安く提供する社員食堂を造った。また「立ち仕事」を続ける従業員のために無料のマッサージ診療所を社内に開設し、「英国一の福利厚生」の評判を得たのである。
全英最大の紳士服製造・販売業モンターギュ・バートンの創業社主オシンスキーもまた従業員の健康を気遣う温情主義的経営者だった。20世紀初め被服製造業は換気が悪く陽光も届かぬ地下室で操業することが業界の常識だった。家賃を浮かすためだった。オシンスキーは被服産業を劣悪な環境のスウェットショップ(搾取工場)から、清潔で近代的な工場へ改善する先導者となったのである。
慈善事業家として最も有名なユダヤ人は20世紀半ば西欧最大の通販会社グレート・ユニヴァーサル・ストアーズの社主、アイザック・ウルフソンだ。大成功を遂げた後も「1日1シリングあれば暮らせる」と語り,質素な暮らしを貫いた。「何人も10万ポンド以上の財産を持つべきでない」との言葉通り、生前1億3000万ポンドを慈善と教育事業に寄付してしまった。最も有名な献金先はオックスフォード大学とケンブリッジ大学だ。両大学にウルフソン・カレッジを設立・運営する基金を寄付したのだ。英国ユダヤの「慈善の王」と呼ぶにふさわしい人物だ。
底値買いで巨富を得る
貧しい白ロシア移民の倅(せがれ)として14歳から旅回りの行商を始めたウルフソンは如何(いか)にして巨富を得たのか。転機は1940~42年の底値買いだった。当時、小売業関係者の間では戦時下の経済統制、見通せぬ対独戦の行方に弱気となり、事業を手放す者が続出したのだ。それを底値で買い漁(あさ)ったわけだ。
ヒトラーが勝てばユダヤ人である自分は命も財産も奪われる。逆に負ければ捨て値で買った事業は大化けする。貧しいユダヤ移民が得意なリスク覚悟の大勝負に出たわけだ。戦争を好機到来と認識できたことが彼の飛躍を生み出したのである。