「革新不況」から「夢と希望」の街へ 桑江朝千夫・沖縄新市長に聞く
4月27日に投開票が行われた沖縄市長選は、自民、公明推薦で前県議の桑江朝千夫氏が、8年間の革新市政を担ってきた東門美津子市長の後継候補に約2000票の差をつけて初当選した。3月2日の石垣市長選に続いて保守系市長の当選は、7年半の実績を積み重ねてきた仲井真弘多(ひろかず)県知事の県政に対する県民の評価の表れとみられている。市長選での勝因、今後の街づくり、県政の評価などについて桑江新市長に聞いた。(聞き手=那覇支局・竹林春夫)
自由闊達な国際都市に、北部にサーキット場建設

くわえ・さちお 昭和31年、桑江朝幸元沖縄市長の次男として沖縄市に生まれる。日本大学卒業後サラリーマンを経て、小渡三郎衆院議員の公設秘書、渡辺美智雄衆院議員の私設秘書を経験。平成6年9月から沖縄市議会議員を3期務めた後、平成18年の沖縄市長選に出馬するも敗北。同20年6月、県議会議員に当選。2期目途中で市長選に再挑戦し当選した。座右の銘は、「威あって猛からず」。
――新市長として市長室の椅子に座った感想は。
現在の沖縄市庁舎は元市長の父・朝幸が建設に関わった。18年前に亡くなってしまい、この姿を見せることはできないが、実に感慨深い。
――市長選は、8年ぶり2度目の挑戦となった。知事選の前哨戦という位置付けから全国的に注目された。選挙戦を振り返っての感想は?
出馬を決意したのは今年の2月8日で、出遅れ感は否めない。ただ、3月頃から終盤にかけて選挙戦勝利への手応えを感じた。「革新不況」に市民が気付いてくれた。すなわち、県の経済が伸びているのに、沖縄市はいったいどうなっているのかというのが市民の感想だ。仲井真県政にあっては、ビジョンさえ掲げれば何でもできるという雰囲気がある。
自民党と公明党ががっちり手を組んで草の根運動を展開した。市議会、県議会だけでなく国政レベルの応援に感謝している。延べ50人余の国会議員が応援に来てくれたが、選対事務局に手間をかけないよう、ほとんどが自前で草の根運動に徹した。自民党本部の石破茂幹事長は3回沖縄市に入ったが、そのうち2度は地道な企業訪問だった。
――投票結果を見ると、若年層から圧倒的な支持を得たが。
公約の中に若者に夢と希望を与えるものを入れた。その夢と希望に若年層が反応した。その上、若手市議会議員を先頭に、青年会、市外の若者も熱心に動いてくれた。その結果、20代の7割が私に投票してくれた。
――8年間の革新不況とは。
市民の誰もが沖縄市の経済が順調だとは思っていない。失業率は14・5%で県平均の4・7%を10ポイントほど上回っている。不況であることを具体的な数字を挙げて訴えると、市民は改めて気付いた。それは、ビジョンもないまま8年間、市政が運営されたことの何よりの証拠だ。県のリーディング産業である観光についても市はほとんど何もしてこなかった。沖縄市は素通りになってしまっている。
――どのようなまちづくりを進めていきたいか。
まず、泡瀬の沖合埋立に関する東部海浜開発事業をしっかり進めれば、沖縄市に初めてビーチが誕生する。東海岸の海の美しさを実感してもらいたい。
県唯一の動物園を旭山動物園(北海道旭川市)のように魅力的なものにしたい。また、現在の市運動公園に全天候型アリーナを建設したい。ライブステージやバスケットBJリーグの琉球ゴールデンキングスのホームとして活用すればいい。動物園とアリーナの二つは近いうちに着手したい。
さらに、自動車、オートバイ用のサーキット場を市北部に造りたい。サーキット場建設は、日本だけでなくアジアのプロ、そして、業界からも要望がある。
――空き店舗が目立つ中心市街地の対策は。
コザの市街地は国際都市としての特色を出していく。沖縄市には約40カ国の人々が住んでいて、外国人が自由に闊歩(かっぽ)できるような雰囲気を復活させたい。沖縄市は那覇市とは違う魅力があり、沖縄市に来たら楽しいと思わせたい。
また、シャッターが目立つアーケード街の対策については、これまで15年も策が論じられているが特効薬がない。市全体で人を呼び込むための知恵を出し合っていくことが重要だ。
――嘉手納基地でシミュレーター(模擬飛行装置)や格納庫などの増設計画があるが、基地所在の市長としてどう対応するか。
まず、基地機能強化には反対が私の立場だ。一方、嘉手納基地につながるコザゲート通りでもここ2、3年で空き店舗が出ている。外国人の人通りが極端に少なくなり、殺風景になった。米兵による事件・事故がないではないが、前市政が米軍を悪いものとして扱い、米兵を排除しようとしたのは間違いだった。軍人や外国人がコザゲート通りをもっと自由に歩き、買い物できるように対策を講じたい。そのためにも米軍基地司令官とも交流していきたい。
――11月にも知事選が予想されるが、仲井真県政に対する評価は。
高いレベルで評価する。目に見える形では、一括交付金(沖縄振興特別推進交付金)を8年間、政府に約束してもらった。那覇空港の第2滑走路建設は、政府と交渉して10年間の工期を7年半に前倒ししたほか、企業誘致などで、長年の課題であった失業率を本土並みに大きく減らした。
米軍普天間飛行場の移設に関しては、危険性の除去を最優先にする考えに同感だ。知事の名護市辺野古沖の埋め立て申請承認は、行政上の手続きであって、問題はない。しかも、知事は「県外が早いのではないか」と言明しており、知事の公約違反にはあたらない。