都議選決起の「公明」、ポスト五輪に焦点移す

党の歴史を代表する都議会、伝統の23議席が至上命題

都議選決起の「公明」、ポスト五輪に焦点移す

公明党新型コロナウイルスワクチン接種対策本部の会合であいさつする山口那津男代表=15日午後、東京都新宿区の同党本部(時事)

 新型コロナウイルス変異株の感染拡大で行政も国民も対策に翻弄(ほんろう)される日々が続き、来月告示の東京都議会選挙も各党メディア上でかすんでしまう。だが公明党は、機関紙・誌の特集で6月25日告示、7月4日投票の都議選に向け強く決起を促した。

 月刊「公明」6月号は巻頭インタビューに山口那津男代表の「都議選の全員当選へ総力挙げる」のほか同選挙に向けた有識者の提言を載せ、「公明新聞」では5月18日付から1面で「都議選勝利へ党幹部は訴える」を随時掲載(同日付は山口代表)している。

 ここで山口氏は、都議会について「公明党そのものの歴史を代表する議会だと思う。公明党の前身である公政連(公明政治連盟)結成(1961〈昭和36〉年)時から都政の刷新を担う役割を果たしてきた」(「公明」)と述べており、結党の原動力になった都議選に対して同党は特に力を入れてきた。

 戦後の高度成長期に都会に若い労働力が集まり、支持基盤の宗教団体・創価学会が特に東京都で勢力を広げ、公明党の票田になった。1967年都知事選では公明党は創価学会理事を候補者に擁立して3位の60万1527票、得票率12・15%を獲得。が、その後は都議会を舞台に知事与党の道を選択した。

 同特集「生活重視・ソフト重点の都政に舵を切れ」で、中央大学名誉教授・佐々木信夫氏は「公明党は政党として23議席を得てデビューしている」と65年都議選から振り返り、それ以来、「都政は革新の美濃部12年、保守の鈴木16年、そして青島、石原、猪瀬、舛添、現在の小池都政と目まぐるしく変動してきたが、その中で23議席を割り込むことなく安定した政治勢力を保っているのが都議会公明党」だと訴えている。

 また、「2009年の第1党は民主、13年は自民、17年は都民ファと選挙ごとに大きく入れ替わった」が、「第1党の議席は過半数に届かない。その中で23議席と常勝を続けているのが公明。結果、知事与党の役割は公明なくして果たせない」と述べ、“小が大を制する”と力説した。

 政策で佐々木氏は「夏の五輪・パラリンピック終了後」に焦点を移し、「老いる東京」「東京一極集中」「都政の政策官庁化」などを提言。山口氏も感染対策、教育無償化、福祉の充実などを同紙・誌で挙げている。コロナ禍で五輪を唱えるよりもワクチン接種推進、ポスト五輪政策で、都議選での共産党や立憲民主党の五輪中止キャンペーンをかわす狙いもありそうだ。

 山口氏は「予断を許さぬ激戦が予想される」と述べるが、確かに選挙協力は複雑になった。前回、自民党から抜け駆けをして知事選に出馬した小池知事が自民党潰しの都民ファーストの会を旗揚げし、国政で自民党と連立を組む公明党は都政では小池知事と都民ファと協力した。しかし、その後の衆院選で小池氏は希望の党を旗揚げして失敗。都政でも都民ファは離党者が相次ぐなど勢いを失い、今回、自民は失地挽回に挑む。また立憲は共産との選挙協力で議席増を狙っている。

 おまけに公明党にとって悩みは得票数が減っていることだ。参院選比例票で2001年、04年に全国で800万票を超えていたが、以降700万票台になり19年には600万票台に落ち込んだ。東京都の衆院選比例票は03年、05年は80万票台だが前回17年は64万4634票だった。

 「挑戦する23人が全員当選をして、断じて公明党の使命を果たしたい」と山口氏は紙・誌上でも決意表明するが、伝統の「23議席」を死守するには一苦労だろう。

 編集委員 窪田 伸雄