東京五輪の中止を狙う左派勢力
“森バッシング”と人権、北京ボイコットはなぜ言わぬ?
東京五輪・パラリンピック組織委員会前会長、森喜朗氏の「森発言」騒動。多くの新聞・テレビが「女性蔑視」と、“森バッシング”とも受け取れるほど、同氏を痛烈に批判してきた。しかし、左派メディア批判を売りの一つにする保守論壇の月刊「WiLL」と「Hanada」4月号は森擁護論の論考を掲載した。
例えば、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」との森発言について、元通産大臣の深谷隆司氏は「笑いを取るためのリップサービス」であって、決して女性蔑視ではない、むしろ森氏は女性を称賛しているとして、その後に続く発言内容を次のように紹介している(「森元総理叩きは集団リンチだ」=「Hanada」)。
「私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、七人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を射た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです」
この発言全体を見れば「女性蔑視」とは思えないし、ましてや会長辞任に追い込まれるような内容ではない。
このため、森バッシングの裏には、何か政治的な思惑がうごめいていたのではないか、とさえ思えてくる。
国際政治評論家の白川司氏は国内的にはリベラル勢力の政治運動だったとの見方を示す。森発言がマスコミで取り上げられると、ツイッターでは「#森喜朗氏は引退してください」というハッシュタグが拡散されたが、それを拡散させたのは共産党の下部組織「新日本婦人の会」だった(「大マスコミの女性役員比率は?」=「WiLL」)。
東京五輪が成功すれば、その後の総選挙は与党が有利となる。だから、五輪を中止させて菅政権にダメージを与えたい勢力が存在すると見ることは不自然ではない。
さらに、白川氏は国内の政治的な思惑だけでなく、国際的な「情報戦」として捉える必要があると指摘する。どういうことか。
来年、北京で冬季五輪が開催される。中国をめぐっては、今年1月、ポンぺオ国務長官(当時)が中国共産党による新疆(しんきょう)ウイグル自治区の弾圧を「大量虐殺(ジェノサイド)」と認定。また、「ジェノサイドを行っている国家に“平和の祭典(オリンピック)”を開催する資格はあるのか」との国際的批判が高まり、特に人権を重視する欧米からは北京五輪のボイコットの声も出ている。
そこで、白川氏は、中国共産党や国際オリンピック委員会(IOC)は国際社会の目をジェノサイドから逸(そ)らさせる必要があったという。しかし、日本で森発言騒動が起きたくらいで、中国共産党のジェノサイドに対する欧米の世論が大きく変わるとは思えないから、この論は説得力に欠ける。
それでも指摘しなければならないのは、人権問題に対する日本の左派陣営のダブルスタンダードだ。彼らの論理からすれば、前出の森発言を「女性蔑視ではない」と考えるところに、日本の「ジェンダー平等」の後進性が現れているということになるのだろうが、中国の人権侵害はその比ではない。森発言であれだけ騒ぐのだったら、北京五輪のボイコットを呼び掛けるのが筋というもの。中国の人権侵害を傍観し続けるなら、日本はそれこそ人権後進国と国際世論から批判されることを覚悟しなければならないだろう。
一方、前出の深谷氏は、連日森叩(たた)きに走ったマスコミがあまり触れなかった森氏のスポーツ界への貢献を紹介している。「森さんは前立腺の手術をし、肺がんになり、いまは週三回の透析(とうせき)が続き、満身創痍(まんしんそうい)の体です。それでも八十三歳の体に鞭(むち)打って、無報酬で働いてきました」
そして、「全マスコミをはじめ、政治家、文化人、コメンテーターらがひたすら異様ともいえる批判の繰り返しに、私は辟易(へきえき)し、涙が出る思いです」と。森氏の政治活動への評価はそれぞれ違っていいが、東京五輪招致への貢献などは率直に認めるべきであろう。
編集委員 森田 清策





