戦後憲法下の天皇像 伝統を核に国民と歩む

「象徴」という曖昧な規定

 もうすぐ平成の時代が終わり、新しい御代が始まる。

 「また令和の時代に会いましょう!」

 平成最後の平日となった26日、政治家の取材で寄った国会議員会館を出る時、顔見知りの警備員がこんな言葉を掛けてきた。日々の生活の営みの中で、今、時代の変化を実感するとともに、皇室の存在を身近に引き寄せて考える日本人が多いのではないか。一般庶民にとっての改元の意義とは、そういうものだろう。

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「Voice」(5月号)

 御代替わりの節目に当たり、月刊誌5月号では、戦後憲法下における天皇像を問う特集が多い。「新しい象徴の時代へ」(「中央公論」)、「天皇と日本人の未来」(「Voice」)、「改元&ご成婚60周年総力特集『素顔の両陛下』」(「文藝春秋」)などで、私たち日本人にとって「皇室とは何か」を改めて考えさせる論考が盛り込まれ、それぞれ読み応えがある。

 125代2600有余年も男系継承されてきた天皇について、その新たな像が論壇において模索されなければならない最大の要因は、戦後憲法にある。長い伝統を誇る天皇が「象徴」になったのは、昭和21年に公布、22年に施行された日本国憲法が第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって」と規定したからだ。

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「中央公論」(5月号)

 東京大学法学部教授の苅部直は、その「象徴」の意味について次のように述べている。新憲法制定に当たり、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の原案が「第一条でsymbolという言葉を用いたとき、それを承けた日本政府による憲法改正草案要綱(一九四六年三月六日公表)は、『象徴』の訳語で示した」としながら、「だが法律の条文の言葉として見慣れない『象徴』の語は、関係者のとまどいを引き起こした」(「『象徴』はどこへゆくのか」=「Voice」)。「象徴」が何を意味するのかが分からなかったからだ。

 元宮内庁長官の羽毛田信吾は、天皇を「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」と位置付けた憲法について「象徴とはどうあるべきか、ということは書いていません」と述べている(「国民の苦しみ悲しみとともに」=「中央公論」)。また、関東学院大学教授の君塚直隆も「象徴」について「この言葉が曖昧なせいか、日本の政体についても国民のあいだには曖昧な認識が広く浸透しているようである。すなわち日本は『君主制』の国ではないと」(「新時代に問われる『開かれた皇室』」=「Voice」)と指摘するとともに、「諸外国からすれば、天皇は明らかに『国家元首』として扱われているのだ」と断言する。

 こうした識者たちの指摘を待つまでもなく、皇室の存在と民主主義をどう両立させるのかなど「象徴天皇」をめぐる論争に終止符を打つには、憲法改正により「国家元首」と、天皇の地位を明確にするのが筋であろう。しかし、憲法に自衛隊を書き込むことさえも困難を極めている現状では、第1条の改正は現実的でない。

 慶應義塾大学教授の片山杜秀が論考「いまこそ『国体護持』を叫ぶとき」(「Voice」)で指摘しているように、たとえGHQが戦後憲法によって「日本を再び『狂信的な軍国主義』を掲げない国にしようと目論み、『平和憲法』と併せて皇室にメスを入れ」「天皇を宗教から切り離して『神聖な存在』から引きずり降ろさなければならない」と図ったことが明らかになったとしても、現段階で第1条に手を付けることは難しい。

 従って、戦後憲法下において、象徴としての天皇象を模索し続けることが次善の策となるが、そのことに真剣に取り組んできたのは学者でも政治家でも国民でもなかった。

 それがどなたであったかは羽毛田の次の言葉が示している。「陛下はそれを皇太子の時代からずっと考えてこられた。それが自らの一生をかけた課題になるわけですね。陛下は、国民の幸せを祈ると同時に、人々のそばに行って、人々の悲しみ、苦しみをともにする、心を通わせる、そういうあり方を非常に大事なものと考えられた。そして、自ら実践されました」

 「国民統合の象徴」を具現するための行動の典型が、平成に度重なった自然災害における被災地訪問であり、サイパンやパラオなどの激戦地を訪れて平和を祈られたことだった。「一部には『陛下は皇居におられるだけでよい』、すなわち天皇の存在そのものが象徴だという意見も」あると片山が指摘したが、現在の日本では、天皇皇后両陛下への国民の支持と信頼は、国民を大切にされた両陛下の真心と行動があって初めて揺るぎないものとなり、それが長い歴史を誇る伝統の継承を可能にしている。

 そして、今上陛下がお年を召されて、こうした行動が体力的に難しくなったと感じられたことが生前退位の表明につながったのであろう。ただ、「たしかに天皇が国民と共感・共苦する姿勢を見せることは必要です。しかしそれ以上に、天皇が『日本の変わらない伝統』を守り続ける伝統的存在であり続けることは重要で、この点がポスト平成の皇室を考える鍵になる」との片山の指摘は重要だ。

 今回の御代替わりにつながった「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を決めた国会の付帯決議は「女性宮家の創設等について、皇族方のご年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題である」として、政府に女性宮家の創設などについて検討することを求めている。

 平成から令和への御代替わりは、国民の祝福の中で進んでいるが、皇太子殿下の次の世代で皇位を継げる皇族は、秋篠宮家の悠仁親王殿下しかおられないことから、識者・政治家の間からは、女性・女系天皇の容認論が既に出ている。しかし、最も重要とすべきことは、世界に誇る万世一系の伝統である。国民に寄り添い続けられた今上陛下の行動は、国と国民の安寧を祈られる宮中祭祀(さいし)を核とした皇室の伝統と深く結び付いている。

 月刊誌では、新天皇の国際的な活躍に期待する声も多かった。「たとえば、徳仁皇太子は『地球の水』問題を長年探究されてきた。二〇一八年三月にもブラジルで行なわれた『世界水フォーラム』に出席され、国連が主催する『水と衛生に関する諮問委員会』でも、オランダ国王とタイアップされて、国際的に活躍されている」(君塚)などだ。

 令和の時代には、外国人が増えるなどの変化は避け難い。新しい時代の天皇像を模索しながら、市井の人々から「令和の時代に会いましょう」というあいさつが自然に出る国に生まれた幸せを次世代につなぐのは、国民の責任でもある。(敬称略)

 編集委員 森田 清策