モリカケ問題の本質 問うべきはルール違反

政治関与は左派のミスリード

 月刊誌5月号は、いわゆる「モリカケ問題」を題材に政治と官僚の関係、さらにそれを報道するメディアの姿勢を問い直す論考が多い。学校法人「加計(かけ)学園」の愛媛県今治市への獣医学部新設計画をめぐる問題で、「首相案件」と記された面会記録が同県に存在していたこと、また森友学園問題で財務省の公文書改竄(かいざん)などが新たに明らかになったからだ。

 この問題における論壇の特徴は、左派の月刊誌を中心に安倍政権批判に結び付けることに重点を置く論調と、それとは対照的に、問題を安倍内閣を倒すための材料として利用する政治勢力や左派メディアの偏った報道姿勢、そして官僚の質低下を批判するものとに二極化していることだ。

 前者の代表は左派の「世界」や、このところ“反安倍”姿勢を強める「文藝春秋」だ。一方、後者は「WiLL」「Hanada」「Voice」「正論」「新潮45」などで、その多くは保守派の月刊誌だ。

 まず前者から見てみよう。「世界」5月号は「森友問題―“安倍事案”の泥沼」と題した「緊急特集」の中で、京都造形芸術大学教授の寺脇研と、ジャーナリストの青木理の対談「森友学園問題の本質と深層」を掲載しているが、司会者が安倍政権の下で行政が恣意(しい)的に歪(ゆが)められたとの前提から対談をスタートさせていることだけを見ても、対談の狙いが政権批判にあることが分かる。

 左翼思想の持ち主や、反体制派の人間からすれば、左に偏向していた政策が、少し右に移動して中央に寄っただけでも「行政が恣意的に歪められた」と主張する。そのことを端的に示したのは、寺脇の発言だ。少し長くなるが引用する。

 「一九九九年に国旗・国歌の実施をめぐって広島県立世羅高校の校長が自殺し、結果として同年八月に『国旗及び国歌に関する法律』が成立します。この時も政治におもねる官僚がおり、問題が発生する直前に広島県の教育長をつとめていた私をやり玉にあげて立ち回って、……国会議員から私は陰に陽に攻撃を受けることになりました」

 この発言をいかに歪んだものであるかを理解するには、少し説明を要する。世羅高校の校長が自殺したのは、卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱の取り扱いをめぐり左派の教職員団体などから激しい攻撃を受けたからだった。寺脇が指摘したように、これが契機となって、「国旗及び国歌に関する法律」が成立したが、左に偏向していた教育を正常化させた時、「教育が歪められた」と見えたのであれば、それは本人が左派の証左である。

 寺脇はゆとり教育を推進し「ミスターゆとり教育」と言われた元文部官僚。ゆとり教育の根底にある思想は子供中心主義の左翼思想で、自身を批判した官僚を「政治におもねる」と表現したのも自らの思想性の表れである。

 また「加計学園」の獣医学部新設問題で、「公平、公正であるべき行政の在り方が歪められたと思っている」などと発言した前川喜平・前文部科学事務次官は現在、安倍政権による憲法改正に反対する集会など、左派の主催する会合で頻繁に講演しているのも見ても、彼の思想傾向が分かる。

 一方、「世界」とは逆に、保守派の雑誌は加計学園の獣医学部新設計画をめぐる問題で、歪められていた行政を正したとの論旨を展開する。元財務官僚の高橋洋一は、ジャーナリストの高山正之との対談「『事実なら』ではなく『事実を調べる』のが報道」(「WiLL」5月号)で、次のように解説する。

 獣医学部の設置については、2003年3月に発布された「文部科学省告示」で、「獣医学部・医学部・歯学部などの設置認可を申請してはいけない」とある。つまり、文科省が設置申請を禁止しているのだが、「こんな告示っておかしいでしょう。法律的に言っても無効」。だから、「歪められていたのは、本来申請を受け付けるべきところを、告示によって申請すら受け付けてないぞ、と言い張った文科省の態度だった」。

 しかも「朝日新聞」などは、安倍政権が国家戦略特区の制度を使って、加計学園による獣医学部新設を認めさせたと疑惑を提示しているが、特区制度は新設認可の申請を認めただけ。申請後は、設置審議会の審査を経て、最終的に文科大臣が認可するもので、その過程には「誰も関与していない」と明言するとともに、朝日のミスリードを指摘している。

 最後に、政治と官僚の関係について見てみよう。寺脇は現在、官僚が政治におもね、「霞が関が総浮足立ち状態」になっているとしながら、その背景は「官僚人事を采配する内閣人事局の存在を抜きに語れません」と言っている。しかし、政治学者の待鳥聡史はこの見方を否定する。

 「中央公論」の巻頭コラム「時評」で、待鳥は、森友学園への国有地売却に関する決裁文書を、財務省が改竄したのは前財務省理財局長の佐川宣寿の国会答弁との整合性を保つためだろうとの見方を示した上で、「佐川氏の答弁や、その後の行動を取り上げて、安倍首相など与党政治家への配慮があり、その背景には内閣人事局の設置によって高位の官僚人事に官邸の影響が及ぶことがあるとの指摘」があるが、それには無理があると指摘する。

 その根拠は、国有財産管理への政治介入は明治以来繰り返し起きているし、「野党やマスメディアに批判された場合に明らかに与党側に立ち、ゼロ回答的な答弁をする官僚も珍しくはなかった」からだ。そして「官邸や与党の意向は、政策を展開する上では重視されて当然」だとした上で、「ルールに反したことには従わないという基本原則の再構築こそが、今後の最重要課題だ。財務大臣の辞任や内閣総辞職の要求は、むしろ問題を矮小化するという認識を持つべきなのである」と強調する(「政官関係の基本原則を再構築せよ」)。説得力のある指摘である。(敬称略)

 編集委員 森田 清策