「LGBT」の定義 「性」の細分化で混乱

倫理・秩序を破壊する造語

性的指向と性自認を同列にする無理

 10年ぶりに改訂された岩波書店の国語辞典「広辞苑」第7版で、幾つもの誤りがあり、この辞典の信用を失墜させる事態となったが、その誤りの一つに「LGBT」についての記述があった。

 LGBTは米国で生まれ、1990年代に日本に入ってきた造語だ。L(レズビアン=女性同性愛者)、G(ゲイ=男性同性愛者)、B(バイセクシャル=両性愛者)、T(トランスジェンダー=性同一性障害など心と体の性が一致しない人)が連帯して、権利拡大運動を進めようという狙いから使われるようになった。「性的少数者」とも説明される。

 前三つのLGBは男性を好きになるか、女性を好きになるかという「性的指向」から見た分類である。これに対して、Tは「性自認」、つまり体の性と違った性の心を持つ人のことだ。しかし、広辞苑はLGBTについて「多数派とは異なる性的指向をもつ人々」と、性自認に関する説明を抜かして記載してしまったのだ。

 誤りの指摘を受け、岩波書店は「広く、性的指向が異性愛でない人々や、性自認が誕生時に付与された性別と異なる人々」と修正している。編集者の勉強不足は否定しようがないが、性的指向と性自認というまったく違う概念に関わる言葉を同列に並べることで、性の解放運動を共闘して進めようという、無理筋の思惑が騒動の遠因であろう。

 「LGBTの子ども・若者支援に関する活動をしている」という遠藤まめたが左派の月刊誌「世界」4月号に、広辞苑の修正を題材に、性的少数者に対する社会の評価の変遷について論考を発表している(「性の多様性とことば―辞書の定義はどう変わってきたのか」)。少数者の人権・権利擁護という視点を好む左派雑誌らしい論考である。

 その中で、遠藤は辞書や百科事典はかつて、同性愛について「異常性欲」「性的倒錯」としていたが、最近は「人間の性のあり方の一つ」と説明されるように変わっていると強調。その上で、LGBTを「性の多様性を肯定的にとらえることば」として評価するとともに、性の在り方によって人を分類する言葉は「これからもどんどん生みだされていくことが予想される」としている。

 確かに、今はLGBTの他にも性的少数者を表す言葉が増えている。遠藤はその例として幾つかの造語を挙げている。分かりやすいのは「Xジェンダー」だ。「男性でも女性でもないと自己定義する人」だという。しかし、性的指向や性自認という、性の在り方を軸にして人を分ける言葉が生まれれば生まれるほど、それらの軸で人を分類することにどれほどの意味があるのかという疑念が強まってくるのである。

 例えば2015年、日本においてLGBTがどれだけの割合で存在するか、を調べた電通ダイバーシティ・ラボは「体の性」「心の性」、そして「好きになる性」(順番に生物学性、性自認、性的指向)の組み合わせから、人を12種類に分類している。それによると、心と体の性が一致し、その性とは反対の性が好きになる人が「異性愛者」で、その割合が92・4%に達した。

 その他の7・6%がLGBTをはじめとした性的少数者になるわけだが、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーはその半数だけで、残りはその他の性的少数者が占めた。

 また、12種類の中には、例えば心の性が「女」、体は「男」で、好きになる性は「女」である人間が存在する。その場合、心を軸に見れば「レズビアン」だが、体からみれば「異性愛者」だ。一体どっちなのか。LGBTの活動家たちは、心を軸にしてレズビアンと定義するようだが、そうなると、「生物学的には男のレズビアン」という、訳の分からない分類となる。

 そんなことから、動物生態学者の麻生一枝は「異性愛・同性愛・両性愛という言葉は、心と体の性がともに男、ともに女と一致している人の性指向を表すのには適している。しかし性同一性障害やインターセクシャルの人々の性指向を、うまく表すことはできない」(『科学でわかる男と女になるしくみ』)と指摘している。

 さらには、「『LGBT』という四つのカテゴリーだけでは足らないから『LGBTTIQQ2SA』にすべきだという、もはや長すぎてパロディとしか思えないような意見も出ている」と、支援活動を行っている遠藤でさえも皮肉交じりで語る状態である。

 ちなみに、LGBT以下のアルファベットの意味は、以下の通りである。T=トランスセクシュアル(性転換をした人)、I=インターセックス(中間的な性)、Q=クィア(変わった人)、Q=クエスチョニング(自分の性のあり方を探している人)、2S=トゥー・スピリット(ネイティブアメリカンに由来する言葉で、複数の性役割を生きる人)、A=アライ(性的少数者を支援する異性愛者)。性の在り方を考えれば、軸となるのは性的指向や性自認だけではないだろうから、人間を分類する言葉はどんどん増える傾向にある。

 最近では「ポリアモリー」という言葉が出てきた。ギリシャ語の「poly」(複数)とラテン語「amor」(愛)に由来し、米国で25年ほど前に出てきた造語で、日本でも使われ始めている。簡単に説明すると、複数の相手と同時期に性愛関係を結ぶ行為で、関係者全員が合意していることが「不倫」との違いらしい。普通なら不道徳と見られることへの反論として使われるのが「生まれ持った性質」ということだ。ポリアモリーと対照的なのが「モノガミー」。性的対象が単数の人、特定の一人の人との付き合いを望む人のことだ。

 一方、タレントで文筆家の牧村朝子(レズビアン)は雑誌の中で、「私は、私でしかありません」として「LGBT当事者」を名乗らないことを宣言している。権利拡大運動から生まれた造語が、逆に人間を規定することになるからだ。Tの当事者の中には、LGBと同列に扱われることを嫌う人もいる。

 遠藤は、「『LGBT』ということばは広まったが、まだ人々の理解は深くない」としつつも、「ことばは人を解放し、ときに命を救うこともある」と、LGBTをめぐる現在の動きを評価する。しかし、この運動で問題なのは「これも人の性の在り方、あれも在り方だ」と、次々と新しい言葉が生まれることで、性倫理が崩壊してしまうことだ。先に紹介したポリアモリーはその典型例である。

 逆に言えば、男女の役割分担を前提にした性倫理を否定し、“性解放”を進めるのがLGBT運動の目的ということだ。「同性愛者」という言葉には、抵抗を感じる人が少なくないが、LGBTというアルファベットなら、その意味がはっきりしていない分、社会に浸透させやすい面もあったのではないか。

 例えば、同性同士の性行為を「性的倒錯」としたのは、男女の性倫理が明確だったからで、辞書からそれが消えたということは、彼らの運動によって倫理観が薄らいできた証左でもある。今後、この運動がさらに広がり性の多様性を表す言葉が増えれば増えるほど、その造語は性倫理や性の秩序を混乱させるのは必至である。

 そして、同性同士の性行為を受け入れない倫理観を持つ人については「理解不足」というのはまだ良い方で、「差別主義者」あるいは「人権侵害」のレッテルを貼ってくるだろう。メディアを使ってLGBTなどの造語を広めることでその下地を作っているのである。(敬称略)

 編集委員 森田 清策