虚構の「琉球独立論」 中国領拡張の段取り研究

《 沖 縄 時 評 》

反米学者ら呼応し論壇広報

虚構の「琉球独立論」 中国領拡張の段取り研究

琉球独立派のデモ=2014年3月、沖縄県庁前

 昨年11月の沖縄県知事選挙で翁長雄志氏が当選して1年。以来、反基地闘争を繰り広げる人々は「自己決定権」を唱え、地元紙に「琉球独立論」がしばしば載るようになった。

 翁長知事は9月、ジュネーブの国連人権理事会の先住民族問題を扱う会議に出席し、「沖縄が自ら自己決定権を持つ主体である」と述べ、米軍普天間飛行場の辺野古移設を人権問題として反対した。「先住民族」との表現は避けたが、先住民族を論じる会議で「自己決定権」を唱えるのは「独立論」に等しいとの批判を招いたのは当然のことだ。

 仲井真弘多・前知事はニッポン放送のラジオ番組「ザ・ボイス そこまで言うか!」で「沖縄独立論なんて笑い話、酒飲み話。なのに、最近は大まじめに言う人がいる」(10月22日=産経ネット版)と首を傾げている。反辺野古闘争を通じて独立論が浸透してきたのだろうか。

◆米軍追い出し狙う

 独立論は辺野古移設を混迷に陥れた鳩山民主党政権時代ににわかに起こってきた。沖縄を日本から切り離そうという動きが中国で本格化したのはこの頃だ。学者の間で「琉球王国時代の大部分は中国出身で、言葉も制度も中国大陸と同じだ」との説が広がるようになり、沖縄を「中国領」とする研究まで現れた(日本経済新聞2010年3月10日付)。

 香港では11年1月に「世界華人保釣連盟」(保釣とは尖閣諸島の魚釣島を保護する意味)が結成され、広東省深★市には「中華民族琉球特別自治区準備委員会」と称する事務所まで開設された。元駐日中国大使館商務参事官の唐淳風氏は新聞紙上やネットで「日本は沖縄を不法占拠した」と盛んに言うようになった。

 こうした動きに呼応するかのように13年5月、松島泰勝・龍谷大学教授が呼びかけ、沖縄に「琉球民族独立総合研究学会」が発足した。共同代表として沖縄国際大学の友和政樹教授や桃原一彦准教授らが名を連ね、沖縄タイムスや琉球新報の論壇面で独立論を展開した。

 松島氏は本土にも持論を広げようと精力的に動き、朝日新聞に「『琉球独立』絵空事ではない」と題して寄稿、「琉球人は基地の押し付けを『沖縄差別』であると考えている。このまま差別が続くならば、独立しかないと主張する人が増えてきた」(ネット版10月15日)と主張している。

 9月に米ニューヨーク大学で開いたフォーラムでは「私たちの島から全ての米軍基地をなくすために独立国家になるべきだ」と発言、友和氏は辺野古移設問題やオスプレイ配備を挙げ「沖縄は依然として日米の植民地」と述べている(沖縄タイムス9月29日付)。こうした発言で明らかなように同学会の主眼は米軍を沖縄から追い出すところに絞られている。

 彼ら独立論者のほか、翁長知事に「国連発言」の場をコーディネートした上村英明・恵泉女学園大学教授や島袋純・琉球大学教授らが「自己決定権」を唱え、沖縄タイムスや琉球新報の御用学者のように頻繁に登場している。

◆多数代弁する反論

 こうした独立論や「先住民族」論に対して沖縄タイムス10月4日付論壇に「沖縄 先住民族ではない 復帰達成 誇りある国民に」と題する痛烈な反論が載った。筆者は沖縄観光コンベンションビューロー元会長の平良哲氏である。

 平良氏は「沖縄は『先住民族』であると断定して、新聞の論壇などで意見を述べるのは事実誤認に基づく発言」と批判、08年6月に衆参両院が「アイヌは先住民族である」との全会一致の決議を行ったように日本における先住民族はアイヌだけだと指摘し、「沖縄県民は、誇りあるウチナーンチュとしてのアイデンティティをもった日本国民であり、『先住民族』ではない」として、次のように訴えた。

 「沖縄においては半世紀ほど前に、復帰後の初代知事を務めた屋良朝苗氏を先頭に県民挙げて祖国復帰運動を展開し、悲願を達成した輝かしい歴史を忘れてはならない」

 同じ思いの県民は少なくないだろう。松島氏が言うような「独立しかないと主張する人が増えてきた」という事実はどこにもない。

 琉球新報社と沖縄テレビ放送(OTV)が戦後70年の「慰霊の日」を控えた今年5月、将来の沖縄の方向性を問う世論調査を実施したが、独立支持は少数だった(同紙6月3日付)。

 それによると、「日本の中の一県のままでいい」が66・6%で最も多く、次いで「日本国内の特別自治州などにすべき」が21%で、「独立すべき」は8・4%にとどまった。前者2問を「日本」と考えれば、87・6%と圧倒している。

 過去の世論調査でも独立支持は少数派にすぎなかった。琉球新報が2011年11月に行った沖縄県民意識調査では、現行通り(沖縄県のまま)が61・8%、日本国内の特別区(自治州)が15・3%、独立すべきが4・7%で、「日本」が圧倒的多数だった。

 同調査ではどうすべきか分からないが18・1%にのぼったが、それは当時、大阪都構想が話題を呼び、道州制も取り沙汰されたので、現行の県のままでよいのか、迷った人がいたからだ。それが今年の調査では分からないは4%に減った。

 11年調査の分からない人のうち4・8%が現行通り、5・7%が特別自治州、3・7%が独立支持に流れた計算になる。その結果、「日本」は10%以上も増え、9割近くになった。松島氏らがいくら「独立」を煽っても圧倒的多数の県民は独立を望んでいないのだ。

◆瀬長氏は独立一蹴

 こうした論議を沖縄の日本共産党員はどう考えるだろうか。沖縄の共産党は本土復帰前、瀬長亀次郎氏(1907~2001年)に率いられ、沖縄人民党として活動した。その瀬長氏も平良氏のように独立論を痛烈に批判した1人である。

 今年初め、サンフランシスコ講和条約から10年(67年)を機に月刊誌『世界』(岩波書店)に執筆した未発表論文が発見された。その中で瀬長氏は独立論との戦いを披歴していた。沖縄タイムスは今春、同論文を「カメジロウ 抵抗のあしあと」と題するシリーズで紹介したが、その個所は次のようなものだ。

 終戦後の米軍占領下に共産党は一時、米軍を解放軍と捉え、沖縄の帰属問題について第5回党大会(46年2月)で「沖縄民族の独立を祝うメッセージ」を採択した。徳田球一書記長(名護市出身)が主導したもので、沖縄独立論を展開していた共和党(50~52年解散)の仲宗根源和氏が同調した。

 これに対して瀬長氏は「沖縄人民は日本国民であるという歴史的事実についてはどこの党も否定できない」と猛反対した(3月23日付・第8回)。その結果、共産党は48年8月の中央委員会総会で独立方針を撤回したという(3月30日付・第9回)。

 また瀬長氏は52年の第1回立法院議員選挙に当選した際、米政府への宣誓文の署名を求められたが、「(署名は)ひとり沖縄県民だけの問題でなく日本国民に対する民族的屈辱であり、日本復帰と平和に対する挑戦状だ」として拒否した(4月13日付・第11回)。

 ちなみに、未発表論文の解説を書いた小松寛・早稲田大学社会学部助教は「瀬長は沖縄の真の主権者は住民だという信念を内外に示した」などと「住民」と記し、瀬長氏が強調した「日本国民」の言葉をまったく使わず、氏の志を踏みにじっている。

 日本共産党は「日本」を冠しているが、しばしば反日闘争に与した。50年代にはスターリン率いるコミンフォルム(国際共産党=コミンテルンの後継)の指示に従い、暴力革命路線(いわゆる火炎ビン闘争)を展開した。

 中ソ分裂後は親ソ路線と親中路線の間を揺れ動いた。60年代には毛沢東から武力蜂起を求められ、これを拒んで70年代から自主独立(孤立)路線を採ったが、冷戦終焉後は再び中国共産党とよりを戻した。

 共産党は瀬長氏が抱き続けた日本国民の誇りを継承するのか、それとも「中国」共産党と化すのか、独立論を巡るひとつの論点として注目しておきたい。とまれ「琉球独立論」は沖縄の人々の共感も支持も得られない中国製の虚構である。

★=土へんに川

(増 記代司)