精神より金銭の文明、中国「嘘」の文化
分裂と統合繰り返す歴史
日本で大問題となった冷凍ギョウザへの殺虫剤混入事件をはじめ、粉ミルクへの有害物質混入、廃油を再利用した食用油販売など度重なる事件で、中国における「食の安全」軽視の風潮は日本に知れ渡っている。それでも、上海の食品会社が使用期限切れの鶏肉を扱っていた事件で、従業員が「食べて死ぬことはない」と平然と語ったり、床に落ちたハンバーガーのパテを何事もなかったかのように機械に戻す姿を地元テレビ局の映像で見て、唖然(あぜん)としてしまった。
日本企業は今後、中国の食品会社との取り引きの在り方を根本から見直すことを迫られるが、その作業で肝要なのは、隣国であっても、日本と中国では物事の考え方に大きな違いがあることを前提に付き合うことである。
今回の事件が表面化する前に発表された論考だが、日本人には信じがたい食品不正事件がなぜ中国で度々起きるのかを理解する上で、参考になる論考が月刊誌8月号に載っている。中西輝政・京都大学名誉教授の論考「中国はなぜ平気で嘘をつくのか」(「文藝春秋」8月)だ。
端的に言えば、「彼らの文明がいわば『嘘』に根差し」「社会観、人間関係観はきわめてゲーム的」であるからだ。なぜなら、中国の歴史は「数多くの異民族が跳梁跋扈し、王朝、支配者が目まぐるしく移り変わる、分裂と統合の繰り返し」だった。このため、生活観や人生観も流動的、刹那的となって、人間関係も「その場かぎりの関係がベースになり」、「精神的な価値よりも、唯物的、拝金主義的なものを重視する」のが中国の文明だというのだ。
鶏肉事件が起きたあと、日本の企業の幹部が「信頼」という美しい言葉を口にしていたが、お人好しの日本人も勝つか負けるかの考え方しかしない相手を信頼を土台に付き合うことの愚かさに、そろそろ気づくべきなのではないか。
話題を食の安全から安全保障問題に移す。中西の論考に、「韜光養晦(とうこうようかい)」という言葉が出てくる。中西の注釈を借りれば「才能や野心を隠して、周囲を油断させ、力を蓄えていく」という意味で、”小平の「韜光養晦」路線は良く知られている。
尖閣諸島に絡んで数年前、左派・リベラルの識者の間から”小平の棚上げ発言を称賛する声が盛んに聞こえたが、中西に言わせれば、棚上げ論も韜光養晦路線からくる「大いなる嘘」であり、尖閣への侵略は”小平時代から企てられていた。
月刊誌8月号の中に、中西の論考ともう一つ、「韜光養晦」を用いた論考がある。ジャーナリストで国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこの論考「『朝日』と中国から日本を守れ」(「Voice」だ。「韜光養晦」戦略を実行していた中国は2009年の終わりから2010年にかけて、「中国はなりふり構わず対外膨張の姿勢を見せるように」なったというのが櫻井の分析である。
櫻井も中国の「嘘」に言及している。背景には「孫子の兵法」があり、「嘘偽りで相手を操ることこそが上策」というのがその要諦という。価値観が極めてゲーム的であるという中西の分析に通じる内容である。
安全保障に関して、安倍首相は「法の支配」を強調するが、それは法律やルールを無視、あるいは軽視する文明を持つ中国を念頭にしているからで、この現実は国民も企業も理解する必要がある。
話題を「食の安全」に戻すと、同社から鶏肉を仕入れていた日本のファストフードは、他の国や中国の別の食品会社が生産した鶏肉で対応しているようだが、この期に及んでも中国の食品会社を使うのは理解しがたい。「嘘の文化」とまでは言わないが、中国の拝金主義が日本企業にも及んでいるということか。
編集委員 森田 清策