サッカー強いカトリック、W杯に見る文化の違い
体格よりも国民性の影響大
サッカーのW杯ブラジル大会で、日本代表は1次リーグを突破できなかった。ヨーロッパで活躍する選手が増え、「史上最強チーム」という評価があるほど、国内での前評判は高かった。ベスト8を目標にしていただけに、1勝もできなかった結果に失望の声が広がる。
だが、優勝候補に挙げられていたスペインをはじめ、イタリア、イングランドなど強豪国も一次リーグ敗退したのだから、何が起きるか分からないのがW杯。そう冷静に考えれば、サムライブルーの敗退ショックも和らぐ。しかし、誤算もあれば、不運もあるのがスポーツと割り切ってしまったのでは進歩は望めない。ここからが論壇の出番とばかりに、決勝トーナメントに行く力がありながらも実力を発揮できずに終わった原因を、文化の違いに着目して読み解くと、サッカーだけにとどまらず、日本のスポーツ界全体に共通する課題が浮き彫りになって興味深い。
辛口のサッカー解説者として知られるセルジオ越後は、月刊「正論」7月号に掲載されたインタビュー「日本代表がW杯トップをとるために」の中で、「日本人は体格で劣りますから、その分、不利なのでは」との質問に対して、「そんなの関係ない」と一蹴する。では、世界との差がどこから来るか。それは仏教文化の影響で、スポーツが日本の社会に根付いていないからだという。
セルジオは、分かりやすい具体例を挙げた。歴代のW杯優勝国に、カトリックの国が多いことだ。なるほど、イングランドを除くと、アルゼンチン、ウルグアイ、イタリア、そしてブラジル、ドイツもカトリック信者が多い。こうした視点は、日系二世としてブラジルで育ったセルジオらしい。
なぜ、カトリックの国にサッカー強国が多いかと言えば、「カトリックは日曜日、みんな休みでしょう。商業も店も、みんな休むんです。だから、日曜日の受け皿として、スポーツが大きな産業になるんです」「でも、仏教は休みがないから、スポーツクラブに行くという習慣も浸透しないんですね」という。
その上で、セルジオは次のように指摘する。宗教はスポーツに大きく影響するから、「宗教とか文化とか、そういう面も研究・分析していかないと、勝てない原因はなかなか分からない」と。
曹洞宗・安泰寺のドイツ人住職ネルケ無方はその著書「日本人に『宗教』は要らない」の中で、「日本人は、受動的な民族」とする一方で、欧米人は「アクティブ(能動的)」な特性があると分析しているが、サッカーにも良くも悪くもこの民族性が表れる。
1次リーグ突破のカギと考えられていたのは、コートジボアールとの初戦だが、この試合の敗戦が、世界の壁を破れない日本代表の課題を浮き彫りにしていたように思う。闘争心の欠如である。
1次リーグ第3戦、コロンビア戦で1得点した岡崎慎司(マインツ)は次のように語っている。「フォワードの選手はわがままというか、エゴイストが多いと言われています」「子どものころから、強い者だけが勝ち抜け、弱い者は取り残されていくドイツの厳しさと、日本の優しさと、どっちが良い悪いじゃなくて、それは文化の違いでしかないんです」(「W杯ブラジル大会熱闘宣言ネガティブ思考だから冷静になれる」=「文藝春秋」7月号)。
一方、ヨーロッパで活躍する選手が増えたのだから、日本人選手も世界レベルに近づいているとの見方については、セルジオはシビアな見方をする。ヨーロッパのチームは選手の実力よりも、ビジネスの観点から日本人選手を獲(と)るのだという。つまり、日本人選手がチームにいれば、日本のテレビ局から試合の放映料が入るし、日本企業のスポンサーもつくからだというのだ。
「Voice」7月号が掲載した中山雅史、名波浩、福西崇史の3人の元日本代表による鼎談(ていだん)「完全予想・サッカーW杯」は、編集部によるテーマ設定の影響なのだろうが、どの布陣がベストであるとか、戦術はどうであるとかの話題に終始し、総合月刊誌の鼎談としては食い足りない内容で終わっている。わが国のサッカー文化の底の浅さがそこに表れているとも言える。
その中で、福西は「サッカーは個の力と組織の融合で決まるスポーツです。ザックが構築してきた集大成をぜひ、見てみたい」と語っていた。結局、日本代表は不完全燃焼に終わったが、長い歳月をかけてチームづくりしながらも、世界の強豪チームを相手に、親善試合とは異次元の、それこそ食うか食われるかの大舞台に立った時、その実力を発揮できるだけのスポーツ文化を根付かせられるのか。2020年に東京五輪を控える我が国スポーツ界に求められる課題であろう。
編集委員 森田 清策