四島返還への執念堅持を
手腕と覚悟問われる首相
「平和条約について言えば、70年間締結できなかったわけで、そんなに簡単に片付く問題ではない」。
2016年11月18日、ペルーのリマで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に参加した安倍晋三首相は、ロシアのプーチン大統領との首脳会談を終え、重苦しい表情で語った。そこには半年前の5月6日、平和条約締結に向け北方領土問題を解決するための「新しいアプローチ」の一環として「8項目からなる経済協力プラン」を掲げて臨んだロシア・ソチでの首脳会談や、12月に地元山口県での会談開催の約束を取り付けた9月2日のウラジオストクでの首脳会談で見せた笑顔はなかった。
リマで記者会見を行った安倍首相は「平和条約への道筋は見えてはきているが、一歩一歩、山を越えていかなければならない」と述べるにとどまり、交渉の難しさからくる疲労感がにじみ出ていた。
それでも国民の多くは、12月の日露首脳会談に大きな期待を寄せていた。昨年、安倍首相がプーチン大統領と行った首脳会談は5回。第1次安倍内閣時代を含めると安倍・プーチン両首脳の会談は合計17回にも及ぶ。「これまで積み重ねてきた首脳会談の集大成が日本で行われる」という認識と「日本で首脳会談が開かれれば、領土交渉で何らかの進展があるのではないか」と国民の多くは期待を抱いたのだ。
それでは12月15、16両日の首脳会談の結果は、如何(いか)なるものだったのか。
16日に発表されたプレス向け声明によると、安倍首相とプーチン大統領は、①(北方四島における日露の)共同経済活動に関する協議開始は平和条約締結に向けた重要な一歩②漁業、海面養殖、観光、医療、環境などの分野で協議開始③北方四島の元島民の墓参手続きの迅速化を検討する―などで合意した。中でも共同経済活動においては、平和条約(北方領土)問題に関する日露双方の立場を害さない「特別な制度」(安倍首相)を創設することで協議を開始するという。さらに、首脳会談では北方四島の共同経済活動とは別に、「8項目の経済協力プラン」に沿って、3000億円規模で民間企業が68件の事業を進めていくことで合意した。しかしながら、プレス向け声明では国民の関心の高かった北方四島の帰属権についての具体的な言及はなかった。
そのため、首脳会談の成り行きをじっと見つめていた元島民たちは、失望といら立ちを募らせている。
「70年以上にわたって領土返還運動を行ってきた。もう一度初めからやり直しという感じ。ただ、運動の先頭を走っていた1世が高齢化しており何とか結果を見せてあげたかった」「安倍首相が一生懸命やっているのは分かるが、領土についての話が一つも出ないのは残念だ」と言った声が大半だ。
それでは、「北方四島の未来図を描き、その中から解決策を探し出す」という新しいアプローチに基づいて経済協力を優先させた平和条約交渉は今後、①経済的な協力関係を構築しながら信頼関係を醸成し、②その上で領土交渉を進め、③北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結(北方領土返還)という、日本政府が描くシナリオ通りに進むのだろうか。
歴史的・地政学的視点から見れば、日本側が意図するような帰結にするためには、それこそ幾つもの山を越えていかなければならない。
一つは、どの国でもそうだが、とりわけロシアは領土に対しては異常なまでの執着を見せる。歴史を遡(さかのぼ)ること約170年前の1853年から56年まで続いたクリミア戦争で大打撃を受けたロシアは、財政を立て直すために米国に超安値でアラスカを売却。失った領土は返ってこないことを身をもって知ることになる。さらに、千島列島はロシアにとって海軍の艦艇が太平洋に出る唯一ともいえる列島線なのである。ましてや、日本と米国は安保条約によって強固な同盟を結んでいるため、地政学的な視点から、おいそれと領土交渉で日本側に譲歩するようにはならないことが自ずと推測できる。
12月の首脳会談の目玉となった北方四島で共同経済活動を行うための「特別な制度」について、安倍首相は「日露両国の平和条約問題に関する立場を害さ」ないものになると述べているが、検討や協議開始が合意されただけで具体的な形になるかどうかも不透明なまま。ロシア側も共同経済活動に自国の法律を適用する立場を崩していない。
これまで北方四島へは、元島民やその家族を対象にした「墓参」や「自由訪問」が定期的に行われる一方で、「ビザ(査証)なし交流」として現島民の北海道訪問や、日本の学識経験者や報道機関などの参加による四島訪問が行われてきた。もちろん、これらの交流は日本の法的立場を害さない形で行われてきたが、共同経済活動というビジネス目的の交流に広げた場合、果たして双方の主権を害さない形を実現することができるか、大いに疑問だ。
安倍首相は首脳会談後のNHKとのインタビューで、領土返還問題と関連し「1年とか2年とか、そういう簡単な問題ではないが、私たちの手で解決していこうと合意できたのは大きかった」と述べ、自分とプーチン大統領との間で解決する決意を表明した。プーチン大統領は18年3月に大統領選があり、安倍首相も同年9月に自民党総裁選を控えているため、それ以前にリスクが高い領土問題に踏み込む可能性は乏しい。それまで北方四島返還への執念を堅持しつつ信頼関係を醸成し、70年を超える懸案を解決することができるのか。安倍首相の手腕と覚悟が問われている。