教員の働き方改革 “チーム学校”で授業充実を
《 記 者 の 視 点 》
新聞業界では、「鬼のデスク、仏の部長」という言葉がある。鬼のデスクは現場記者のトップであるが、会社の上層部と部下をつなぐ中間管理職。有能であり、若い記者を厳しく指導、育てる役回りで、時には部下から嫌われる“鬼”の役回りにもなる。仏の部長は、部の事務を統轄し、いつもニコニコしながら、グランドデザイン(大まかな方向性)を描き、細かい指導はデスクに任せ、「部内での最終責任」を一手に引き受ける。企業や業態によって、違いはあるだろうが……。
学校をみると、学校全体では、先生の間では、校長が“仏”、各教科主任や学年主任が“鬼”という、役回りだろう。だが、教育の現場では、担任教師が一人で(副担任制もあるが)学級内で起こる事象の全てに責任を負うことが多い。また、責任を人に任せることを嫌がる先生も多いように聞く。「団塊の世代」の大量退職で、力量のあるベテランが激減し、世代交代が起こっている。
学校と教員は、子供に必要な資質・能力を育むことが使命であり、必要な資質・能力を児童・生徒に育むための教育活動に重点を置いて、取り組むことができるように、体制を整備するとともに、家庭や地域社会の理解と支援を得ることが求められる。
働き方改革が叫ばれる中、学校の管理職は、学校の評価を上げるための新規の行事に駆り出され、仕事が増える一方で、次々と学校の仕事が増やされている。他方、現場の教員たちは、労働時間の規定概念がない空気の中、クラブ活動の指導や事務仕事(校務、会計、報告書の提出、アンケートのまとめ、行事の手配・準備、教科・学年などの職員会議)があまりにも多く、教科指導の質を下げないために身を削っているが、“限界”もある。
道徳や英語の教科化をはじめ、新学習指導要領ではさらに負担が増えている。授業を理解し先頭集団を走る児童・生徒をもっと伸ばしてやりたい気持ち、授業についていけない児童・生徒のフォローアップもしなければならない。その中間の児童・生徒の底上げも考えなければならない。
国家の成り立ちや国民性の違う、欧米の方式が全て良いとは言えないが、学校の安全は警備担当者に、健康は医者・看護師に、学校への納付金は経理担当職員、環境・美化は外部の清掃業者に、という具合で学校での役割分担がはっきりしている。教師は学習の専門家であり、学力が高まらない場合には保護者が校長に移動を願い出たり、地方の教育委員会に苦情を申し出て、改善を求める。
「学ぶ楽しさ」「分かる喜び」を児童・生徒と共に共有し、学力を育むことが第一だ。給食費や修学旅行費の積み立てなど金銭面で事務職員を活用したり、児童・生徒の精神面のゲアはスクールカウンセラーに、生育環境・格差問題などはスクールソーシャルワーカーに、部活動の指導は外部指導員などに任せることも必要だ。“教師の本分”である授業の充実に向け、校長のリーダーシップの下“チーム学校”の体制づくりが急がれる。
教育部長 太田 和宏