体は男だが心は女、トランス女子の競技参加
東京五輪の開幕が近づいてきた。今大会はさまざまな意味で歴史的な大会だ。
コロナ禍をどう克服して成功させるのか。当然、世界の目はこの点に注目するが、それに加え筆者はもう一つの問題を注視している。史上初めて参加するトランスジェンダー選手がどんな成績を収めるかだ。
体は男性だが、心は女性(トランス女子)の重量挙げ選手がニュージーランド代表として女子種目に出場する。女性人権団体などはすでに「不公平」と批判の声を上げているが、もしこの選手がメダルを獲得したら、その波紋はあらゆるスポーツに及ぶだろう。
強い反発が予想されるのは格闘技やコンタクトスポーツだ。体力差が勝敗に直結するだけでなく、選手の安全という問題があるからだ。ハンドボールでかつて、こんなケースがあった。
オーストラリアの元男子代表がトランス女子として女子代表に選ばれた。身長190㌢、体重100㌔。結局、他の選手が危険になるとして、世界選手権への出場はかなわなかった。
一方、フランスのラグビー連盟は今年5月17日、トランス女子が国内女子の試合に出ることを認めると発表した。ホルモン治療を1年以上行っているなどの条件をクリアした上でのことだ。しかし、ラグビーの国際統括団体「ワールドラグビー」は昨年、選手の安全性と公平性から、トランス女子の女子チームへの参加を推奨しないというガイドラインを策定しているのだから、それとは矛盾する決定だ。
「ジェンダー平等」の観点から、トランス女子が女子競技への参加を認める国はあるが、それによって不公平感を味わうことになったのは女子選手だ。「男にできることは女にもできる」というフェミニズムの考え方が男女の違いを否定するジェンダーフリーを生み、それがブーメランのように跳ね返ってきて、女性たちを苦しめているのだ。
(森)