権力者の驕慢
白馬にまたがった金正恩朝鮮労働党委員長の姿を見て、ふっと脳裏をかすめた単語が権力者の驕慢(きょうまん)だった。驕慢の驕は馬と高いことを意味する喬からできている。馬に乗った高い位置から下を見下ろすという意味を盛り込んでいる。馬は昔、値段の高い交通手段であり、持てる者の象徴だった。驕慢が権力者を含む持てる者によく発病する理由がここにある。
驕慢は非常に特異な症状を伴う。まず、おべっかを喜ぶ。自分を支持する人間だけを好み、そんな人を抜擢(ばってき)する“コード人事”を乱発するようになると驕慢の病気にかかったことは確実だ。次に、批判と指摘を無視する。自分が正しいと過信するため、相手の意見をよく聞かない。批判に耳をふさぎ、しばしば独善に陥る権力者がいれば、すでに末期の重症の状態だと見なければならない。最後に、自己反省を行わない。誤りを認めるよりも、常に他人のせいにする。韓国社会によく現れる“ネロ・ナムブル”(「私がやればロマンス、他人がやれば不倫」の略語。自己中心的なダブルスタンダードのこと)現象も驕慢から現れる症状だ。
驕慢は恐ろしい症状を伴うため、宗教も極度に警戒する。キリスト教では神の恵みと助けを否認する最高の犯罪に数えられ、仏教では自分の本性を見られなくする邪魔物と見なされる。儒教の経典の一つ『春秋左伝』は「驕慢で滅びない者は今までいなかった」と一喝している。
文在寅大統領は驕慢の危険性を良く知る人物だった。大統領就任の辞で「低い人、謙遜な権力になるつもりだ」と誓ったほどだ。そんな指導者が曺国前法務長官の一家の不義については沈黙した。“曺国事態”を呼び起こした自分の責任には目をつむり、検察とメディアのせいにばかりしている。「いかなる権力も国民の上に君臨することはできない」と叫んでいても、最も強大な自分の帝王的な権力については、一言も話さない。こんな“ネロナムブル”は最高権力の座から国民を見下ろしているためだろう。
文大統領は7年前、自叙伝にこのように書いている。「初等学生(小学生)と話す時は背が120㌢に縮む人が好きだ。野花と対話し、子犬と話すために時には背を地面にまで低める人が好きだ」。本当に国民と疎通したければ、大統領自ら驕慢の馬の背中から降りてこなければならない。国民と目線を合わせてこそ常識が見えるからだ。
(10月19日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。