真実のふるい
虚偽と真実を判別することは人類が長い間抱えてきた難題だった。昔、中国では乾いたコメを利用して真偽を判断した。コメを噛(か)んで吐き出させた後、コメが唾で濡れていたら無罪、コメが乾燥したままなら有罪と見なした。嘘(うそ)を語ると口の唾が乾く身体上の変化を利用した技法だ。生体の反応で犯人を見つけ出す現代の嘘発見器の原理とよく似ている。
とはいえ、いくら性能が優秀な発見器でも虚偽を明らかにするには限界があるものだ。一度も瞬(まばた)きせずに嘘を言う厚顔無恥な人たちに生体反応が生まれるはずがないためだ。
そんな良心的でない人に対しては、孔子の判別法が有用ではないかと思う。かつて孔子は、「彼がする行動を見て、何故するのか調べ、何が好きなのかを観察すれば、どうして自分を隠せるだろうか」と語った。いわゆる孔子が提示した“真実のふるい”だ。まず、言葉でなく“行動”を観察しろということだ。外見が華やかだったり甘い言葉であるほど嘘である場合が多いわけだ。次に、どんなわけでそのような行動をしたのかという“動機”を調べ、最後に彼が好きな“嗜好(しこう)”に注目しなさいというアドバイスだ。このように三つのふるいにかけると、真実の中身は残り、偽りの殻は地に落ちるというわけだ。
孔子のふるいは“曺国事態”において、真実を見る慧眼(けいがん)を与えてくれる。第一に、行動のふるいをかけると、文在寅大統領と曺国法務長官の言行不一致がすっかり現れる。曺氏は言葉と行動が異なる偽善を数えられないくらい繰り返しており、尹錫悅検察総長に「生きている権力も同じ姿勢で捜査するように」と語った大統領の言葉は自分の行動と甚だしい不調和を演出した。
第二に、動機を見ると曺氏が掲げる検察改革は名分であり、本当の動機は政権の維持だと分かる。政権の延長に不利ならば、執権勢力が検察改革にそれほどこだわるだろうか。
第三に、彼らが好むのは権力だ。権力の甘い汁を手放さないように正義と良心まで踏みにじる現実を国民ははっきりと見ている。
あえて、この三つのふるいにもう一つを付け加えたい。歴史という“時間”のふるいだ。虚偽は生命が短い。時間が流れて、いつの日か泥水の泥が沈んで澄んだ水になれば、虚偽は必ず実体を現すはずだ。今はドジョウがあまりにも水を濁している。
(10月1日付)