曺国“一兵”救出作戦


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 ヘウムという村の納屋で火事が起こった。炎が他に燃え広がることを防ぐために、人々が納屋に駆け寄った。しかし、火の手を鎮めるために必要な装備もなく、井戸の水を引き上げるホースもなかった。その時、政治家が現れて叫んだ。「今、われわれがすべきことは急いで新しい藁(わら)を持ってきて、火元を覆うことだ。そうすれば、火の手が新しい藁に遮られて荒れ狂うことはないはずだ」。

 頭のいい人たちは手を横に振って断ったが、政治家は聞かなかった。彼の追従者たちは乾いた藁を運んで納屋の火の中に投げ入れた。厚い藁の山に遮られて、火の手が見えなくなった。追従者たちは歓声を上げたが、その効果は長続きしなかった。すぐに火の手はより猛烈に燃え上がった。政治家はもっと多くの藁を持って来るように督励した。その政治家が事態の責任を取って退くと、追従者のうちの1人がその跡を継いだ。後任の政治家の第一声はこうだった。「村を救う最後の機会がまだ残っている。皆が一心団結しなければならない。もっと多くの藁を持ってきてください」。

 詩人のリュ・シファが作った『人生の寓話』を読みながら、曺国問題に直面したわが国の社会とあまりにも似ているという思いを拭い去ることができなかった。曺国は法務長官(法相)に起用された後、数多くの嘘によって国民を愚弄した。国民が怒ると、政府と与党は曺国の火の手を遮るために“新しい藁”を探し始めた。定年延長案と住宅賃貸費用対策を相次いで発表し、曺国自身は“検事との対話”というイベントまで行った。最初は効果があるように見えた。大統領の支持率が一時反発したので、曺国法相任命に反対する声も低くなった。しかし、その醜い嘘のベールが剥がされて怒りの火の手がいっそう強くなってしまった。このような破局の中でも、政府・与党の核心メンバーは「正しいという確信と信念があれば、サイの角のように押していくことができなければならない」と督励した。もっと多くの藁を持って来いと叫ぶヘウム村の愚か者たちと何が違うのか。

 政府・与党の曺国救出作戦が気の毒でならない。特攻隊員たちが1人の兵士を救出するために死闘を繰り広げる映画『ライアン一兵救出』(日本名『プライベート・ライアン』)にはヒューマニズムが色濃く溶け込んでいる。しかし、曺国“一兵”救出作戦は感興どころか、国民に眉をひそめさせている。いったいいつまで、こんな荒唐無稽なドラマを見なければならないのだろうか。

(9月23日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。