「破虜湖」改名論争


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 天恵の秘境をもつ江原道華川郡の破虜湖(パロホ)が時ならぬ改名論争に巻き込まれた。中国人たちが破虜湖という名前を不快に思うからとの理由だ。中国当局が駐中国韓国大使館と華川郡などに改名を要求したという話も聞こえてくる。

 破虜湖は1944年、日帝(戦前の日本)が造ったダムによって生まれた湖だ。6・25動乱(朝鮮戦争のこと)当時、韓国軍と国連軍が約2万人の中共軍を壊滅させる戦果を挙げると、李承晩大統領(当時)が「オランケ(女真族を蔑んで呼んだ言葉、蛮夷。中共軍のこと)を撃ち破った湖」という意味でこんな名前を付けたのだという。

 改名の問題を最初に挙論したのは、盧英敏大統領秘書室長だと言われている。KBS北京特派員は昨年の冬、駐中国大使だった盧秘書室長から「破虜湖問題をどうすればいいのだろうか」という話を聞いたと報道されている。破虜湖の改名は、盧秘書室長が年初に青瓦台(大統領府)に栄転してから、表に出始めた。彼は駐中国大使に赴任した当時、習近平国家主席と会った後、芳名録に「萬折必東」という文句を書いて論争を起こした人物だ。「黄河は1万回曲がっても必ず東の方に向かう」という意味だ。朝鮮王朝の事大主義者たちが中国の明に永遠の忠誠を誓う時に使っていた文句だという。

 改名を推進している人たちは「韓中関係と平和雰囲気醸成のために破虜湖を元々の名前である大鵬湖に変えよう」と主張する。日本というと身を震わせていた進歩勢力が平和を口実に日帝時代(日本統治期)の名前に戻そうというのだ。彼らはお門違いだ。平和を語るなら6・25動乱によって平和を踏みにじった北朝鮮、そして北朝鮮の不法南侵を支援した中国の過誤を先に指摘すべきだろう。習近平主席と中国のマスコミは自分たちの侵略行為を英雄的な抗米援朝と美化するが、進歩勢力はこのような中国の行動には口をつぐんで平和だけを叫んでいる。

 破虜湖は血を流して国家を守った“護国の湖”だ。侵略者たちを追い払う過程で多くの韓国軍と国連軍の兵士たちが一握りの土に変わった。国民の愛唱曲『碑木』も、この戦闘で死んだ無名勇士の石の墓を作詞家が見て作ったのだ。そのような数多くの人々の犠牲の上に大韓民国の自由と繁栄が存在する。五穀英霊が命を捧(ささ)げて守った破虜湖! その名前すら守れない愚かな子孫になるのではないか、心配だ。

 (5月29日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。