韓国版トルネード
新羅の(30代)文武王(金)法敏は、(29代)太宗武烈王、金春秋の息子だ。彼が歴史の中で輝くのは、父と共に三国統一を成し遂げたためだけではない。唐に対抗して国を守ったのでいっそう輝いている。
文武王11年、西暦671年9月、4万の唐軍が帯方に侵入した。帯方は今の(北朝鮮の)黄海道だ。新羅は高句麗復興軍と一丸となって対抗した。対唐戦争はこれをもって幕が開けた。1年前に文武王は高句麗(末に実権を握った将軍)淵蓋蘇文の甥の安勝を報徳王として擁立した。王の下に王がいたわけだ。675年9月、今度は唐軍20万が突入してきた。買肖城(京畿道楊州)で大規模な戦闘が起こる。唐軍を壊滅状態にした新羅。この時、捕獲した軍馬は3万380頭に及んだ。
こんな文武王が永眠したのは在位21年となる681年だった。『三国史記』にはこのような文が残っている。「遺言に従って東海口(東海=日本海)大石上に葬った。俗伝には王が竜になったという」。東海口大石上とは慶州市甘浦の大王岩だ。俗伝の内容を伝える『三国遺事』の記録は、「王は倭(日本)兵を抑えるために感恩寺を建て、息を引き取ると海竜になった」となっている。
海竜になったことが、どうして分かったのだろうか。竜は昇天する。海の竜が昇天すれば、長いトルネード(竜巻)が生じる。
新羅人はそれを見ながら何を考えただろうか。文武王の遺言、「葬礼は倹約を求めよ。辺境の城と州・県の課税は必要なものでなければ、全て廃し、律令と格式も不便なものはすべて改めて施行しなさい」。命が尽きる日にも国のことを心配した文武王。そんな王のことを思いながら、自分を顧みなかっただろうか。
強い旋風が(忠清南道)唐津を襲った。現代製鉄の唐津製鉄所の出荷場の屋根まで吹き飛んだ。紙くずのように破れてばらばらになったという。気象庁は西海(黄海)の竜巻が上陸したようだと言っている。1985年以来、目撃された竜巻は全部で11回。冷たい空気と熱い空気がぶつかって生まれる米国のトルネードと同じだ。
今は竜巻を見ながら何を考えるだろうか。このように考えるかもしれない。「新羅時代には科学の知識が足らなかった」と。見えるものだけがすべてではない。竜巻は信念を生み出し、信念は国を守った。唐津に竜巻があった日、その日も政治を糾弾する声だけが満ち溢(あふ)れていた。
(3月18日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。