政治家の断食


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 1983年5月、新聞の片隅に「在野人士の食事問題」「政治懸案」という短信の記事が掲載された。金泳三(YS)元大統領が民主化を要求して23日間続けた断食に関する記事だった。政府の報道統制のため「断食」という言葉は一言もなかった。髭(ひげ)を剃(そ)らず憔悴(しょうすい)した顔のYSが病院に運び込まれた写真を見た国民たちはその時になって初めて政治弾圧の実情を悟るようになった。

 断食は古代アイルランドで不義に抗議するために、加害者の家の前で行った意思表示だった。表門の前で死亡者が出る場合、家の所有者にとって恥辱になるという点を狙った行動だった。

 わが国では第5共和国(81年3月~88年2月、全斗煥大統領時代の政体)の時、政治弾圧に対する抵抗の表示として断食が始まり、その後、政治家たちの占有物のようになった。2003年、当時、野党だったハンナラ党の崔炳烈代表は、盧武鉉大統領側近の不正疑惑に対し特別検察官による捜査の導入を要求して断食した。激励のため訪問したYSは「飢えると死ぬよ」と語った。有名人たちが押し寄せて、断食闘争の効果が出た。

 文在寅大統領は国会議員の時、旅客船セウォル号沈没の真相究明特別法の制定を求める“ユミンのお父さん”キム・ヨンオ氏の断食をやめさせるために訪れたが、逆に一緒になって断食した。朴映宣議員(女性)が「特別法を制定しろ!」と書いたプラカードを持って現れるなど、世論が燃え上がった。憲法裁判所の朴槿恵大統領弾劾を妥当とする判断が発表された後、文大統領が最初に訪ねた場所が(セウォル号の犠牲者が引き揚げられた)全羅南道珍島の彭木港だったことから分かるように、セウォル号事件は彼の政治的な財産になった。

 任鍾晳・大統領秘書室長は国会議員時代にイラクへの戦闘兵派遣に反対して13日間、断食を行い、病院に運び込まれたことがある。反戦平和というアジェンダを占有し、市民・社会団体や(自ら議長を務めた学生組織)全大協の出身者たちの求心点となった。

 自由韓国党のキム・ソンテ院内代表が、パワーブロガー「ドゥルキング」などによるネット世論操作事件の特別検察官捜査を要求して断食中だ。ドゥルキング捜査は当初、政府を批判するネット世論操作疑惑に対し共に民主党の秋美愛代表の指示で始まったが、犯人が政権の待遇に不満を抱いた与党党員だったことで形勢が逆転した状況だ。韓国の政治史で断食は政治家の命運を左右する。今度の断食も政治的な勝負所となるのか。

 (5月9日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。