地球村の小寒酷寒


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 小寒。漢字の意味を解けば「少し寒い日」だが実際は違う。「大寒が小寒の家に行って凍え死ぬ」「小寒の氷が大寒にとける」という。“大いに寒い”大寒は体面を保つのが大変だ。今年も例外ではない。小寒の前日の4日、平昌と江陵を分かつ大関嶺は零下18・5度で、平年より6・1度も低かった。小寒の日には少し和らいだが依然、寒い。

 こんなことがなぜ繰り返されるのか。二十四節気の区分が元・明・清800年の首都・北京を中心としているためだ。北京の緯度はソウルよりはるかに高い。気候の変化が節気の名前とぴったり合致するはずがないのだ。

 節気を定める暦法も何度も修正を経た。朝鮮後期の実学者、李瀷が『星湖◆説』に残した記述によると「暦書の修正は漢400年の間に5回、三国時代の魏から隋に至るまでに13回、唐から後周までに16回、宋300年の間に18回、金から元まで3回…、今日の時憲暦は西洋人(ドイツ人宣教師)のアダム・シャールが編纂(へんさん)したもので、これによって暦法は完成した」。

 わが国の暦法術は少し遅れている。(朝鮮4代王)世宗の時代に渾天儀(天文観測器)、仰釜日晷(公衆日時計)、水時計など、あらゆる天文観測器具を作って“暦法独立”を考案したが、その努力は後代に受け継がれなかった。たやすい方法を選び、冬至に使臣を明・清に派遣して暦本を持ってこさせた。「アダム・シャールの暦法は完全」という記述に暦法輸入の実情が表れている。実学者の洪大容はそれが残念で、独自に渾天儀を作った。

 暦法は伝統的な天文科学技術の寵児(ちょうじ)であり、豊作・凶作と戦争の勝敗を決める要素だ。そんなわけで天文を観測する明・清の観象監(天文地理等を担当する役所)には外国の使臣が足を踏み入れることができなかった。

 小寒の寒さは韓国だけだろうか。映画『デイ・アフター・トゥモロー』に劣らない酷寒と暴風が地球村を襲っている。米国の北東部は100年ぶりの極寒に見舞われた。ナイアガラの滝は凍り、水を空中にまくと氷の粒になって落ちる。欧州も時ならぬ暴風が襲った。“北極振動”に異常が生じたためだという。地球温暖化によってジェット気流が弱くなり極地方に閉じ込められていなければならない冷気が南方に下ってきたのだとか。

 頻繁に繰り返される厳寒。もはや異常気象というのもおかしいくらいだ。突然、こんな思いがした。「小寒の名前を変える時が来たのではないか」。 (1月6日付)

 ◆=にんべんに塞

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。