子供と政治


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 朝鮮時代の英祖(21代王)。許してくださいと訴える息子の思悼世子(世子は王の世継ぎ。思悼は王が後に与えた諡号(しごう))を米びつに押し入れた。彼は時には父親になるが如何なる瞬間にも王でなければならなかった。映画『思悼』で英祖が独白する。「これは国事ではなく、家事(家庭内の事柄)だ!」。王の息子は王の息子らしくなければならないのに、そうでなかったこと。そこから歴史の悲劇が始まった。

 ルネサンス時代の女傑、フォルリのカテリーナ・スフォルツァ。敵が人質としていた彼女の子供たちを城の前に連れ出して殺すぞと脅した時、彼女は城壁の上でスカートをまくり上げて叫んだ。「私はまだ子供はいくらでも産めるんだよ」。その断固さにたじろいだ敵は逃げ出した。

 英祖は王朝のために息子を殺し、カテリーナは城を守るために子供を捨てた。本性が悪いからではない。死ぬか生きるかという政治の属性がそのようにさせたのだ。朴元淳ソウル市長、李会昌元ハンナラ党大統領候補が直面した息子の兵役不正疑惑は先の二例に劣らない。陰謀がまかり通り、政治的に罵倒された。

 韓国の政治家はいい子供を持たなければならない。鄭夢準前議員はソウル市長選挙を前にして、息子がセウォル号沈没事件の遺族を「未開」だと表現し、涙で訴えなければならなくなった。ソウル市の教育監選挙に立候補した高承徳弁護士は、「子供の教育を放置した人に教育監の資格があるのか」という娘のフェイスブックのコメントに「申し訳ない」と謝るしかなかった。

 南景弼・京義道知事が子供による(政界)残酷史に大きな一画を加えた。彼の息子は後任兵士の殴打事件に続いて、覚せい剤使用容疑で昨日逮捕された。南知事は「父親として息子をしっかり教育しなかった不届き」を謝罪した上で、「道政は揺るぎなく遂行する」と語った。「息子を温かく抱いてあげたい」とも述べた。道知事と父親の責任を果たすということだ。

 これをめぐってインターネット上の論戦が過熱している。「家庭の管理もきちんとできないのに、何が道知事だ」といって政治的な責任を追及する声が出る一方で、「息子は成人で、私的な問題なのに、公的な仕事を行う道知事に責任を問うのはやりすぎだ」という反論も負けていない。

 わが国の諺(ことわざ)に「子供の形は生んでも心は生めない」という言葉がある。南景弼氏の息子の事件は韓国の父親たちにとって「同病相憐れむ」側面が少なくない。

 (9月20日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。