JP(金鍾泌氏)に望む
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
首丘初心。キツネが死ぬ時、自分のすみかに頭を向けるという意味で、死を前にして故郷を懐かしむ心を表す言葉だ。先週末、90歳を目前にした元老政客(せいかく)の金鍾泌(キムジョンピル)(JP)元国務総理が故郷の忠清南道扶餘(プヨ)を訪れ、先祖の墓を巡ったという。家族納骨墓を造っている石材業者に立ち寄り、直接、墓碑銘も作成したという話だ。人生無常だ。
1926年生まれのJPは光復(日本からの解放)直後、左翼が主導する国大案(国立ソウル大学校設立案)反対運動に参加して除籍され、陸軍士官学校に入学する。これを契機に波瀾(はらん)万丈の人生を送ることになる。35歳だった1961年、朴正熙(パクチョンヒ)と共に5・16(軍事クーデター)を主導して政治軍人の道に入る。
その後、JPは中央情報部の創設、民主共和党の結党と4大疑惑事件、韓日国交樹立に向けた水面下の交渉、大統領選挙への出馬、自由民主連合の結党、民主正義党(盧泰愚(ノテウ))・統一民主党(金泳三(キムヨンサム))・新民主共和党(JP)の3党統合、DJP(金大中(キムデジュン)・金鍾泌)連合など、韓国政治史のヤマ場では常にその現場にいた。
朴正熙、金泳三、金大中は事実上、彼が先頭に立って大統領にしたといえる。2004年の第17代総選挙の直前には、「落日」という批判を受けると「落ちる前に西の空をうっすらと赤く染め上げたい」と語ったが、2008年に脳卒中で倒れた後は、マスコミの視界から消え去った。
JPは最近の“不通政局”に対して「今はまだ国民が忍耐しているが、怒るとトラに変わって噛(か)みつくこともあるということを肝に銘ずべきだ」と釘(くぎ)を刺した。政治力不在の与野党をひっくるめて「国民を失望させる政治は必要ない」とも語った。来週、国会で開かれる彼の雅号を取った「雲庭会(ウンジョンフェ)」発起人総会に出席するという。健康が少し回復したようだ。
JPが本当にしなければならないことがある。墓碑銘も重要だし雲庭会も重要だが、現代史の数多くの曲折の現場にいた主人公として、まず、歴史の真実を述べた“自叙伝”を出版しなければなるまい。
韓国現代史の専門家である朴テギュン・ソウル大教授は最近、「子孫にきちんとした歴史と事実を知らせようとすれば、金鍾泌氏のような方が語ってくれなければならない」と述べつつ、JP回顧録の執筆を提案した。これは、朴教授だけの考えではないはずだ。
(12月4日付)