“鮮明性”競争の逸脱


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 『思美人曲』を書いた歌辞文学の大家、松江(ソンガン)・鄭澈(チョンチョル)(松江は号)。政治的には“鮮明性”を強調した西人の領袖だった。宣祖(朝鮮王朝14代の王)の即位後に官職生活を再開し“激濁揚清”(濁を追い払い清を引き上げる)を唱えた。守旧的な勲戚政治(勲功ある王の親戚による政治)を清算し、新しい士林(儒教学者)政治の鮮明性を示すための旗幟だった。鄭澈は士林の進出を牽制(けんせい)する政敵と激しい論争を行った。王が叱責しても言うべきことを言って、削奪官職(官職を奪い官員名簿から削除すること)された。

 永遠のライバルだった金泳三(YS)、金大中(DJ)両元大統領。1985年の第12代総選挙の直前に新韓民主党(新韓党)を創った。両金氏の勢力合体の効果で、新韓党の鮮明性が浮き彫りになった。当時の野党第1党、民主韓国党は、従来から指摘されてきた御用野党のイメージがより濃くなった。新韓党は選挙で民韓党をダブルスコアで圧倒した。「鶏の首をひねって(鳴かなくして)も夜明けは来る」(YS)、「行動しない良心は悪の側だ」(DJ)。民主化を渇望していた当時、これほど鮮明なスローガンはなかった。

 崔順実事件の後、野党側の大統領候補者たちの競争が過熱している。安哲秀(アンチョルス)・国民の党前代表は「強い哲秀」といわれる闘士に変身した。朴元淳ソウル市長は自ら参加する国務会議で「大統領退陣」を主張し大混乱させた。李在明・城南市長は大統領の下野(退任)と拘束を一番最初に訴えた。世論調査の結果は、李市長の完勝だった。文在寅・共に民主党元代表は昨日、自分は「さつまいも」で李市長は「サイダー」と比喩し、「炭酸飲料は飯にはならないが、さつまいもは腹を満たしてくれる」と語った。自分の“相対的優位”を主張したのだ。ダークホースとして浮上した李市長を公開的に牽制したわけだ。

 文元代表は「前面に出ればトラの文在寅を見るようになる」とも言った。そうでなくても毎日、言葉の爆弾を発しているのに、なぜトラなのか。共に民主党が毎回交渉の代わりに対決を選び政争を招くのは強攻一辺倒の“親文(在寅)”によるところが大きい。秋美愛代表がよく過激な言葉で失敗する理由でもある。早期大統領選挙のための弾劾強攻も、文元代表の利害を反映したものという指摘だ。国政を収拾すべき野党第一党が党利党略に走れば与党に代わる政権政党の資格を認められるだろうか。鮮明性の辞典的な意味は、すっきりはっきりした性質だ。鮮明性競争を過激発言の競争と錯覚してはならない。

 (12月3日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。