大統領選挙での惨敗、米マスメディアに第2の弔鐘

山田 寛

 先週の米大統領選では、ヒラリー候補だけでなく、世論への影響力を全く発揮できなかった米国の新聞・テレビも惨敗した。将来を絶望させるような弔鐘が鳴った。

 米紙のうちトランプ支持は1%だけ。96%がヒラリー支持を宣言していた。各地で保守派の新聞が、19世紀末以来とか数十年来初めてとかで、民主党候補支持を相次いで表明した。

 2008年選挙の際の調査でも、有権者の10分の7は、地元紙の候補支持など無視していた。それでも08、12年の選挙では、ある程度影響があった。

 しかし今回、地元紙の「変節」など全く無関係に、トランプ氏は勝ちまくった。地元紙に影響されない有権者は、10分の9にも達したかもしれない。勝者は、トランプ氏とSNS、スマホだろう。

 ニューヨーク・タイムズ紙の「トランプ所得税脱税疑惑」報道も中途半端で、「ミス子豚ちゃん」や女性問題に押され、結局どれも決定打にならなかった。

 今回の弔鐘は、「第2の弔鐘」と言えよう。米マスメディアが栄光と国民の信頼を低下させたことへの「第1の弔鐘」は、1990年代に鳴っていた。米マスメディアは、1960年代のベトナム戦争報道をはじめ、米国防総省秘密報告やウォーターゲート事件の調査報道で、国民から強い信頼を得た。

 ベトナム戦争報道は、最も自由な戦争報道で、記者やテレビカメラが戦場を駆け巡り、戦争の実態、影の部分までも米国と世界の茶の間に詳しく伝えた。米軍が自由取材を認めた目的は「正義の戦争」のPRだったが、報道陣は米軍とサイゴン政権側の残虐行為なども詳しく報じ、米当局の「もうすぐ勝つ」宣伝への不信感も強め、反戦世論を増大させた。

 だが、イラク政権の侵略を退治する91年の湾岸戦争は、そんな栄光ムードを一掃、逆転させた。「われわれはまた、西部劇で無法者に立ち向かうカウボーイになった」と、米評論家は評した。敵は強敵だ。もうマスメディアにカウボーイの足を引っ張ってほしくない。「米軍がメディアに、戦況情報を詳しく伝える必要があるか」との世論調査の質問に、「必要なし」が「あり」の3倍にも上った。

 米軍は、報道管制を厳重にした。ごく一部の記者しか戦場に行かせず、一般には戦争テレビゲームのように、米爆撃機のハイテク爆撃の命中場面ばかり公開した。

 駐米記者だった私は、「民主主義米国の誇る自由な戦争報道は死んだ。世論の信頼も低下した」と感じた。それが「第1の弔鐘」だった。ベトナム以後の米世論調査では、「信頼する組織や公共機関」として、新聞やテレビは上位にいた。だが、湾岸戦争とともに軍隊への信頼が復活した。98年には、1位の教会65%に次いで軍は2位49%。大統領は4位33%。テレビ・新聞は10位に低下、16%だった。

 現在「もう世界の警察官はやりたくない」米国民は、メディアの自由戦争報道や信頼感どころではなかろう。

 そして、今回の体たらく。

 新聞など時代遅れという声は少なくない。SNSで、スマホを通じ多種多様な情報が飛び回り、それに圧倒される時代だ。

 だが、それでは、憎悪とデマを増幅し、今回のように政策論争より相手のスキャンダル非難合戦の選挙戦になってしまう。外国のハッカーなども関与してくる。そんな中で、新聞やテレビが一層綿密に調査・取材を重ね、自由闊達(かったつ)な報道をしてほしい。高レベルの選挙戦も取り戻してほしい。そして決定的な「第3の弔鐘」が鳴らないよう頑張ってほしい。そう強く思う。

(元嘉悦大学教授)