56年ぶりの赦し
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
日本統治時代に神社参拝を拒否し獄中生活の苦しみを味わった孫良源牧師は大空のように広い心を持った人だった。彼の名前の前には「偉大な赦し」が修飾語のように付いて回る。孫牧師の2人の息子は麗順反乱事件(1948年、全羅道の麗水・順天での軍隊反乱)当時、共産主義の工作員に捕まって銃殺された。孫牧師は息子の葬儀の日、人々の前でこう叫んだ。「息子1人の殉教も尊いというのに、まして息子2人も殉教するとは。神様、感謝いたします」。
孫牧師の叫びは空言ではなかった。麗順反乱が鎮圧された後、息子たちを殺したうちの1人が逮捕され、今度は彼が銃殺される立場になった。孫氏は戒厳司令官を訪ね犯人を生かしてほしいと訴え、犯人は奇跡的に釈放された。孫牧師は息子たちの怨讐を養子にして、実の子のように愛した。
聖書には「7の70倍までも許しなさい」と書かれているが、孫牧師ほど聖書の教えを完璧に実践した人はないだろう。ヘブライ語で「赦す」という言葉の「shuv」は「元に戻す」という意味だという。かつての過った悪行を善のある所に戻すことが他ならぬ赦しだというのだ。赦しの当事者は被害者だけではない。加害者も当然、心から赦しを求めなければならない。そうしてこそ地獄に落ちた自分の人生を天国に戻すことができるのだ。
先の日曜日、白髪の老人、今年77歳のキム・ドンモ氏は慶尚南道昌原にある国立3・15民主墓地の金朱烈烈士の墓を訪ねて56年ぶりに赦しを請うた。彼は跪(ひざまず)いたまま「済みません。赦してください」という言葉を繰り返した。金烈士は馬山商高1年の時、李承晩政権の3・15不正選挙に抗議する中、催涙弾に当たって死亡した。針金で巻かれた彼の遺体は1カ月ほど後に馬山沖の海に浮かび、(李大統領を辞任に追い込んだ)1960年の4・19革命の導火線となった。キム氏は当時、遺体を捨てる時に使ったジープの運転手だった。
重度の認知症を患うキム氏には時間がなかった。手後れにならないうちにこの世で犯した罪をぬぐわなければならないと思って行動に移した。彼は「直接謝罪できて心がはるかに軽くなった」と語った。半世紀以上背負ってきた重荷を下ろした瞬間だった。しかし、キム氏とは異なり今も赦しを請おうとしない人たち、歴史的な事件の虐殺の責任者や私的領域の加害者が数多く周りにいる。今こそ、手後れにならないうちに自ら赦しを求める順番だ。そうしてのみ地獄のような心を天国に戻すことができるのだ。
(3月16日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。