科挙の合格証(紅牌)
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
高麗時代の紅牌が再び姿を現した。全羅北道・扶安にある全州崔氏(全州は本貫)門中の斎室「留節庵」で発見されたという。今度の紅牌は1389年、高麗33代の昌王の時に科挙に合格した崔匡之に与えたものだ。その年、王は10歳だった。9歳で王位に就いた昌王は崔匡之に紅牌を与えたその年に王位を追われ江華島で殺害されてしまう。高麗は3年後に滅んだ。
崔匡之の心情はどうであったか。血の涙を流し、丹心歌を歌った高麗遺臣・鄭夢周と同じだろうか。
『この身死してまた死し、百回死に直し/白骨がちりと土になって魂すら有ろうが無かろうが/君に向かう一片の真心がどうして無くなるだろうか』
紅牌は科挙の合格者に下賜される赤い紙に玉印を押した合格証だ。崔匡之の紅牌には「高麗國王之印」が押されている。朝鮮時代には白い紙に書かれた白牌も生まれる。紅牌は文科・武科の殿試の合格者に、白牌は生員・進士と覆試の合格者に与えられた。紅牌の権威が最高だ。王が下賜した鞍馬に乗って御賜花を冠に差して錦衣で還郷するのはまさしく紅牌を与えられた人士だ。
紅牌を与える科挙制度は高麗の光宗9(958)年に始まった。中国・山東地方の青州守令の息子、雙冀の建議によって導入した。王道政治と為民思想で武装した士大夫を政治に引き入れて豪族を抑えるための革命だった。成功した。士大夫は高麗を動かし、朝鮮を導いた。“賢明な王”は紅牌を受ける資格のある人物を探した。その中の1人が人材ならどんな朋党でも使うといった正祖(朝鮮22代王)だ。正祖は沈煥之に手紙を送った。
「小さな郡に隠れた忠誠心があって誠実な人がいないはずがない。知られていないだけだ。人材を探す方法を考えよ。門閥の高低や党派の東西を問わず、ただ人望によって選んで俸禄を受けるようにすれば…」
人材を求める切実な心が溢(あふ)れている。丹心歌を残した鄭夢周のような人士を探そうとしたのだろうか。518年の朝鮮の歴史。長久なる歴史を綴ることができたのは紅牌を受けるに足りる人士があちこちにいたためではなかろうか。
(全羅南道)咸平郡の郡主が数億ウォン台の国家補助金を変則的に得たとの容疑で調査を受けているという。「李下、冠をたださず」というではないか。資格もなく紅牌を得て、鞍馬に乗る人間は一人や二人ではない。(国会のある)汝矣島には散らばっているではないか。
(11月14日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。