イスラム系移民の西側「統合」問題


 「パリ同時テロ」事件が国内外のイスラム教過激派が連携して組織的に実行した欧州最初のテロ事件となった。フランス社会では不安が広がる一方、「なぜ国内のイスラム系青年たちが過激テロに走ったのか」といった疑問に対峙し、その答えを見出せずに苦慮している。換言すれば、フランス居住イスラム教徒が西側社会になぜ統合できないのか、という問いかけだ。

 「パリ同時テロ」はシリアを拠点とするイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」がフランス、ベルギーに住むイスラム過激派と連携して実行したテロと見られている。すなわち、ホームグロウン・テロリストが外部のテロリストと連携して行ったテロだ。

 そこで西側居住のイスラム系青年がなぜテロに走るかについて、①イスラム系青年たちは社会で差別を受け、就業機会も少ない。彼らはフランス社会に統合できず、その不満、怒りがイスラム過激思想に出会うことで暴発する、②フランスは過去、シリアを含む北アフリカ・中東を植民地化してきた時代があったが、資源、労働力を搾取するだけで、植民地の国民の発展には何もしなかった。それに故に、旧植民地の国民はフランスに消すことができない恨みを抱えている、といった社会的、歴史的背景を指摘する声が聞かれる。

 ここでは一般論として「イスラム教徒の西側社会への統合は可能か」について考えてみた。

 オーストリアのクルツ外相(兼統合相)は同国のイスラム教徒にオーストリアの法の遵守、慣習、言語を学び、社会に統合するように要求する。最初のステップはドイツ語学習だ。移民にはドイツ語コースを義務付け、一定の課程をクリアしなければ滞在ビザを発行しない。オーストリア側も言語コースの学費などを負担する。一定の期間内で条件をクリアしたならば、就業の道も開かれる。

 もちろん、移民はドイツ語を学ぶ努力をする。言葉が出来なければ就業ばかりか、生活にも支障をきたすからだ。当然のことだが、ホスト国の社会の風習、慣習を学び、それを尊重しなければならない。

 ところで、イスラム系移民の場合、別の困難に直面する。彼らはキリスト教社会に統合を求められたとしても、基本的には難しいのだ。例えば、イスラム系女性はヒジャブの着用を放棄できないようにだ。

 アブラハムから派生した唯一神教の場合、神は自身への絶対的信仰を求める一方、他の文化、社会への統合を戒める。必要ならば力を行使して異教文化を打破するように求める。だから、イスラム教徒の中には異教社会への統合が難しくなる者が出てくる。なぜならば、彼らの神が統合を願っていないと信じているからだ。

 「旧約の神」はカナンに入るイスラエル民族がカナンの異教神の影響を受けてはならないと警告し、異教徒を一人残らず殺せと命じた。もちろん、「旧約の神」は21世紀に生きる大多数のイスラム教徒にとっても受け入れられない内容だが、異教社会への統合には消極的となる。だから、時間の経過と共に、イスラム系コミュニティが欧州社会で生まれる。買物先から学校までイスラム系の独自ネットワークができるのだ。

 北アフリカ・中東から多数の難民、移民がドイツに殺到している。ヴルフ前独大統領は在職中、「イスラム教もドイツ文化の一部だ」と主張し、多文化社会を支持したが、メルケル首相は、「多文化社会は幻想に過ぎない」とし、イスラム系移民にドイツ社会への統合を求め出した。
 一方、大多数のイスラム系移民はキリスト教社会で統合する考えはなく、経済的恩恵を享受することに専心する。ホスト国が笛を吹いても、彼らは踊らないのだ。

 “宗教の百貨店”と呼ばれる日本の国民には想像できない世界かもしれないが、イスラム教徒が異教社会に生きることはそれだけで非常に多くの困難と試練がある。イスラム教徒にとって、欧州社会への統合は外部の人間が考えるほど簡単ではないのだ。

 イスラム系若者の中には、過激思想に出会い、それに惹かれ、そこに自身が失ってきたアイデンティティを見出す者も出てくる。「パリ同時テロ」に関与した者のように、これまで充満してきた不満、怒りの爆発先を見つけ、テロに走る者も出てくる。

 ちなみに、西側社会では「統合」という言葉は一般的にはポジティブな意味で受け取られるが、イスラム教社会では“禁断の実”を食べるような不敬な行動と同一視される傾向が見られる。だから、西側のホスト国はイスラム系移民の「統合」への消極性、不安に対して理解を示す必要もあるだろう。

(ウィーン在住)