南北、二つの時間
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
「何と言っているのか、よく分からないね」
2000年6月13日、平壌で開かれた南北首脳会談を取材していた時、人民文化宮殿の晩餐(ばんさん)で同席した人民俳優の言葉だ。南(韓国)でも放映された映画『イム・コクチョン』(林巨正)の主人公、チェ・チャンス氏は、最初の南北首脳会談に対する平壌住民の反応、同行した南側一行に関するさまざまな質問に、全く理解できないという表情だった。同じテーブルに座っていた案内員は「いつも聞いている言葉と全く違うので、よく分からない」のだと言った。南側の言葉の抑揚、外来語、不慣れな表現を聞いてもピンとこないというのだ。私たちが北側の方言の抑揚やリズムが不自然に聞こえるのと同じだ。それでも意思の疎通には大きな問題にならない。慣れるのに時間がかかるだけだ。
南北が越えられない障壁は、分断70年間に違ってしまった言葉や風習ではない。時間がたてばその違いは狭まる。しかし“金氏王朝”体制の象徴は簡単に消えない。北朝鮮の住民の心、精神に刻み付ける作業が絶えず続けられているからだ。朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』の題号の下には主体年号が記されている。主体104(2015)年。故金日成主席が誕生した1912年を元年とする“主体暦”だ。今度はいきなり標準時を変更するという。光復(日本からの解放)70周年の記念日である今月15日から従来より30分遅い“平壌時間”を使うというのだ。ソウルが午前9時なら平壌は午前8時30分になるということだ。
北朝鮮の名分は「抗日精神」だ。1908年に西洋標準時を導入した時は東経127・5度を基準にしたが、日帝(日本)に併合されて東経135度の東京標準時に合わせたので、これを復元することこそ、日帝の残滓(ざんし)を清算することになるという主張だ。国際社会の反応は違う。「独裁者の典型的な権力誇示」のためだとせせら笑っている。2007年にベネズエラのウゴ・チャベス大統領が標準時を30分遅らせて国旗、紋章を電撃的に変更したのが代表例だ。当時、チャベスは「人々が狂ったといっても気にしない」と言ったが、今の金正恩の心境がそれと同じではないだろうか。標準時の変更に伴う経済、安保上の費用は金正恩体制では一顧だにされない。他と違う年度、違う時間帯を“主体的に”生きているという集団的な信念が重要であるのみだ。核開発と恐怖政治で国際的な孤立の道を突き進む30代の権力者、金正恩が韓半島の時間まで分断したのだ。
(8月10日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。