百貨店崩壊から20年
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
災難は恐ろしい存在だ。途方もない苦痛をもたらし、耐え難い社会・政治的な波紋を起こす。古今を問わず同じだ。
反正で(前王を廃して)王位に就いた仁祖。王となって1年もたたないうちに国中が旱魃(かんばつ)で干上がってしまった。並大抵の心労ではなかったはずだ。「私が不徳の身で王位に上ったせいで旱魃が起こり、民は食糧の穀物を失った。この国はこれから誰に頼ればいいのか。天がこれだけ怒っておられるので、民の恨みはよく分かる」
王は直接、祈雨祭(雨乞いの儀式)を行うと言った。どんな心からだったのか。不徳を許し、民が飢えないようにしてくださいと祈りたかったのではなかったか。王ならば当然、一度はそんな気持ちを持ったはずだ。その気持ちが確固としたものであれば聖君になったはずだ。いいかげんに祈雨祭を行うなら、王座を長く保つことは難しかったはずだ。天でなく民がその心を見抜くはずだから。
災難には2種類ある。天災と人災だ。どちらの災難がより悪質だろうか。それは人災だろう。被らなくていいはずの、憤怒を生み出す災難だからだ。旱魃、洪水、天然痘に見舞われる時も、「船を転覆させる民心の波」は誠を尽くさない対応によって起こるのではないか。
1995年6月29日、三豊百貨店が崩壊した。ソウル江南の最高級デパートは20秒で消えてしまった。残骸の下敷きになった人だけでも1500人以上。502人が命を失った。見つからなかった遺体も多い。奇跡もあった。11日目に救助された崔明錫氏と13日目に救出された柳智丸さん。崔氏は20歳、柳さんは18歳だった。父母たちは皆、自分の息子、娘のように涙を流した。怒りも天を衝(つ)いた。カネに目がくらんだ不法増築、それを許した官民の黒い癒着。セウォル号の事故と瓜(うり)二つだ。
惨事の後には何と言っていたか。「二度とこんなことが起こらないようにしなければならない」。直ったかといえば、そうではない。人災はその後も絶えず起こってきた。
どうして直らないのか。務実力行。真実に務め力を尽くして行うという意味だ。独立運動家の島山(トサン)・安昌浩(アンチャンホ)(島山は号)先生は「務実は嘘(うそ)をつかないこと」だと言った。祖国独立を語りながら、どうして嘘をつくなと言ったのだろうか。きらびやかな言葉を語るだけで努力もしないのに、国力を培うことができようか。災難が近寄るだけだ。「務実力行しない民族には未来がない」という言葉が出るのは当然だ。三豊百貨店の崩壊から20年、嘘は消えたのか。
(6月29日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。