祈雨祭


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 端午が近い。陰暦5月5日、今年は陽暦で6月20日だ。菖蒲(しょうぶ)の根を切ってかんざしとし、菖蒲を煮た湯で頭を洗った。心の余裕を思いっ切り楽しんだ理由は何だろうか。陽暦6月6日は芒種(ぼうしゅ)。「芒」はイネやムギの実の先端にある針状の突起(のぎ)を指す言葉で、ムギを刈って稲を植える時期のことだ。端境期を越えて豊かな季節が戻ってくるので希望が湧く。端午に菖蒲が登場するのはこのためではないか。
 今年は違う。希望を抱くべき端午の季節だが、農民の心は落ち込んでいる。農民だけではない。

 「天よ、水不足で憂いに沈んだ農民のために雨を降らせたまえ」。(忠清北道の)丹陽郡主が主管した祈雨祭の祭文の一節だ。旱魃(かんばつ)で大地はひび割れ、飲み水がない。消防車と給水車が水を運ぶのに忙しい。

 祈雨祭を行った丹陽郡丹城面のマダン岩。斗岳山の気が集まる所が、このマダン岩だという。美観で有名な丹陽八景のうち、神仙の「仙」を使う上仙岩、中仙岩、下仙岩の三つが斗岳山の周辺に集まっているので、尋常な場所ではないようだ。朝鮮時代にもここで祈雨祭を行ったようだ。朝鮮時代の地方官署で収集した文書が記された『各司謄録』には、1760年以降、丹陽で祈雨祭が行われた記録が3回出てくるという。1845年6月3日の記録には、祈雨祭を行った直後に大雨が降ったとある。韓国民俗大百科事典にその記録が出てくるが、そこがマダン岩だったという記録は残っていない。しかし、光復(日本からの解放)後もそこで祈雨祭が行われているので、その伝統は朝鮮時代にさかのぼるはずだ。

 かつて我々は天水●といって、空だけを眺めて農業を行ったので、豊作と凶作が交互し、よく飢饉(ききん)が起こった。1960~80年代は「天水●に打ち勝とう」といってダムを造ったが、天水●は解決されたのか。ダムの水が底を突いたので、天水●批判が恥ずかしくなる。

 人工降雨の話はどうして出てこないのか。2008年の北京五輪に備え、中国政府は何年も前から降雨ロケットを打ち上げた。砂漠化する北京を“緑色”にするといい、実際に必要な時には雨が降った。雨を降らせるのは不可能なのか。予算がないのか、意思がないのか。

 祈雨祭。「科学時代になぜ祈雨祭か」と言うかもしれない。苛(いら)立たしい気持ちを分かち合う天祭に対して、どうしてそんなことを言うのか。祭祀(さいし)を行う“切実な心”が希望を生み出すのではないか。そこで問いたい。祈雨祭の祭壇に上ることができる政治指導者は何人いるのか、と。(6月17日付)

●=沓の日を田に

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。