宋海氏の夢


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 24歳の青年は戦争が始まると、山の中に身を隠した。(北朝鮮・黄海道の)九月山(クウォルサン)に身を隠した人民軍の敗残兵たちが毎晩、鉦(かね)を叩(たた)きながら村をかき乱して回ったためだ。数日山中に身を隠しては家に戻る生活が繰り返された。1950年の冬、中国共産党軍が押し寄せてくると、状況が緊迫した。「オモニ(母さん)、ちょっと行ってきます」。息子の短いあいさつに、母は「今度は、用心しなさい」と言って息子を見送った。母親の心からの忠告は結局、最期の遺言となった。息子の心には、「ちょっと」という単語が65年間、喉に刺さった小骨のように引っ掛かった。歌手で“国民のMC”でもある宋海(ソンヘ)氏が抱えた離散の痛みだ。

 宋氏は1998年の晩秋、ついに北朝鮮の大地に足を踏み入れた。歳月は彼を待ってはくれなかった。夢に見た母親は既にこの世にはいなかった。紆余(うよ)曲折の末に金剛山に上った宋氏は、奇岩と渓谷の織り成す絶景で有名な万物相(マンムルサン)の前で歩みが止まった。しばらく岩を眺めていると、案内員が近づいてきて「見たいものは全て見せてくれる不思議な岩ですよ」と言った。切実な心で宋氏は目を閉じて祈った。しばらくして目を開けると、どうしたことか、母親の顔が目前に満月のように明るく現れたのだ。急いで地面に跪(ひざまず)いて両手と頭をついて礼を捧(ささ)げた。短時間ではあったが永遠に残る母子の再会だった。

 宋氏は今年、母を思う恨(ハン)と分断の悲しみを込めた新曲『流浪の青春』を発表した。故郷を取り戻すまでは流浪の人生だというのが彼の考えだ。そんな流浪の青春たちが、我々の周りにはまだ多い。故郷を失った痛みを引き継ぐ2、3世まで合わせると、流浪の青春は優に1千万に及ぶ。

 昨日、ソウルの光化門で行われた統一博覧会の開幕式で、平和統一を祈願する“風船のハト”を飛ばすパフォーマンスがあった。国民が自然に統一を考えるよう準備された行事だとはいうが、残念なことが少なくない。統一への準備が全くできていない現実のためだ。外交と安保態勢はさておいても、統一費用は初めから考えもしない。誰もが自分の生活だけに夢中になって、北の同胞のための統一の生活費用には関心がない。統一財源は空になって久しい。

 宋氏は北朝鮮で2回、自らMCを務める『全国のど自慢』を開いた。しかし、彼には本当の願いが一つある。黄海道の載寧(ゼリョン)で故郷の人たちと一緒に楽しくのど自慢を行うことだ。宋海氏の夢は果たして実現するだろうか。1千万「流浪の青春」の夢は現実となるだろうか。

(5月30日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。