アカシアの“花飯”


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 貧しかった頃の我々の話だ。1970年代初、麦が実りつつある晩春だった。青瓦台(大統領官邸)に一通の手紙が届けられた。京畿道城南に住む主婦が一字一字はっきりした字で切ない事情をしたためていた。「80歳を超えた姑に侍りながら3人の子供と一緒に暮らしています。ソウル駅前で行商をしていた夫が交通事故で床に伏し、家族が何日も食べられずにいます。私たちは食べなくても大丈夫ですが、老齢の義母が何も食べられずにいる様子はとても見るに堪えません。」

 手紙を見た陸英修(朴正煕大統領)夫人は秘書官を派遣し、その家に米一俵と少々の現金を与えさせた。秘書官はしばらく貧民地域を訪ね回った末に、やっとその家を見つけて扉を開いた。家族が暗く陰気な部屋に輪になって座っていた。ちょうど夕食の最中だった。食卓には汁物と醤油(しょうゆ)の器が置かれていた。姑らしい老婆は真鍮(しんちゅう)のボウルに山盛りの白飯を一匙(ひとさじ)ずつ食べていた。秘書官は一瞬、腹立たしく思った。「何日も食べられないでいると言っていたのに、白飯だけ食べているな…」

 間もなく目が慣れると、秘書官はピンときた。ボウルに盛られているのは白飯でなかった。アカシアの花だった。秘書官は青瓦台に戻り、詳しい事情を報告した。夕食を食べていた大統領夫妻は箸を置いたまま、無言で天井を見詰めた。

 うそのように聞こえるだろうが、わずか1世代でもさかのぼれば、端境期にアカシアの花で飢えをしのぐ人が少なくなかった。食糧が絶対的に足らなかったので端境期は本当につらい時期だった。昨年来の穀物がなくなり、麦はまだ実っていないので、餓死する人々が続出した。世の中で一番越え難い峠は「麦の峠」(端境期のこと)だという言葉が生まれるほどだった。

 わが国では「ご飯食べた?」「食事はされましたか?」という表現が非常に多く使われる。つらい端境期にルーツを持つ韓国式のあいさつだ。そこには最も基本的な生命維持活動をきちんと続けているのかと心配する心情が込められている。他人に対する温かい情と配慮がにじみ出ている。西洋人が「ご飯食べた?」という言葉を最も美しい韓国語に挙げる理由もここにある。

(5月26日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。