国庫揺るがす公務員年金
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
1960~70年代に大学を“牛骨塔”と呼んだことがある。学問と真理の殿堂である大学を「象牙の塔」でなく「牛の骨で建てた塔」だと皮肉ったのだが、子供の成功のためなら燃え盛る火の中にも飛び込む父母にとって、大学はそんな存在だった。田舎で農業を営む父母たちは、子供を大学で学ばせるために農業には欠かせない牛を売った。売り払ったのは牛だけではない。誰かが無理やりさせるわけでもないのに田畑まで喜んで子供のために捧(ささ)げる一途(いちず)さのために腰が曲がり、家計が破綻することさえあった。
大学がかつて田舎の農家の骨をかすめ取る牛骨塔だったとすれば、今は公務員年金が国家の骨をかすめ取る牛骨塔になっている。公務員の老後の面倒を見るために国民の血税をつぎ込んでいるので、国民の腰が曲がり、国家の財政が根底から揺らいでいる。改革するといって手を着けはしたが、耳を覆って鈴を盗むのと同じように改革のふりをしただけで、何の罪もない未来世代まで被害が及ぶことになった。これでは国家の俸禄で生きてきた公務員の顔が丸つぶれだ。
国の財政が窮迫していた時代に公務員や準公務員が薄給にあえいでいたことは概(おおむ)ね事実だ。高度成長の過程では、企業に比べ法外に低い俸給のため、公務員や軍人、教師たちが疎外感を持ったりもした。そんな事情を踏まえ、彼らの老後の保障を国庫をはたいて負担するのだ。しかし、公務員の俸給も着実に上昇し“薄給”は古語になった。一般国民に比べて決して低くない安定した収入を保障されている。華やかな老後生活で周辺の嫉妬を受ける退職した公務員・教師、退役軍人も少なくないのが現実だ。安定した収入と安定した老後の生活を享受する公務員は今や、国民の羨望の対象だ。現職の時も退職後も変わらない潤沢な生活もやはり国民は皆うらやましく思っている。
公務員の人気が天を衝(つ)いている。毎年行われる公務員試験が国民的な行事になった。先月18日に行われた9級公務員試験の平均競争率は51・6倍を記録した。3700人を選ぶのに19万987人が志願したというから、宝くじに当たるようなものといえば言い過ぎか。公務員の保障された老後生活をやっかんでいるのではない。彼らの幸福な老後に反比例してだんだん空になっていく国家財政が心配なのだ。公務員年金をはじめとする公的年金改革の山をどう越えるかに、国の未来が懸かっている。国家への忠誠を、わが国の公務員たちにこれ以上期待することはできないのだ。
(5月7日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。