金正恩第1書記はなぜ訪露しなかったのか
北朝鮮の金正恩第1書記がロシアの戦勝70周年式典(5月9日)への参加を取りやめた。今回の人民武力相の粛清とも関連するが、筆者はロシア訪問中止の理由として、クーデター危惧説を第一に挙げたい。叔父の張成沢を銃殺して以降、83名の高官を公開処刑したからだ。うち15人は今年に入ってからだ。
叔父を銃殺したのは「誰も信じられない」という証しである。しかし、恐怖政治が重なると不平不満が爆発し面従腹背の部下に裏切られる恐れがある。独裁者が国外に出て不在中の期間こそ軍部にとってクーデターを起こす絶好のチャンスだ。さらに全国的な反政府デモの恐れもある。ロシア訪問どころではないだろう。
2004年4月22日に起こった龍川駅の列車大爆発事件では、金正日総書記(当時)自らが、訪朝した韓国現代グループの玄貞恩会長に「私を狙った暗殺未遂爆弾事件だった」と語っている。
2012年11月3日には、平壌の訪問先で弾薬入り機関銃が発見され、金正恩暗殺未遂事件として張成沢など側近の監視を強化し始めたという経緯があるのだ。
もっとも、ロシア訪問中止については他にも考えられる。「ロシア側の特別待遇拒否説」だ。国際式典の序列は年齢、国家規模、在位期間などの順だが、それを無視した“偉大なる指導者の特別待遇要求”が拒否された可能性も考えられる。
また、金正恩の式典参加の見返りとして原油援助と平壌ミサイル発射指揮所の防禦用にS300(新型地対空ミサイル)の提供を要求したが、拒否されたとの見方もある。昨年、第2人者の崔龍海と人民武力相の玄永哲が同ミサイルの購入を交渉したがロシアが現金払いを要求し保留状態という。
3番目の理由としては、対中と対露の外交バランス路線説だ。毛沢東の長男、毛岸英は1950年、朝鮮戦争で戦死し北朝鮮の平安道に墓がある。訪朝した中国高官の墓参りが中朝血盟関係の象徴となっている。
一方、旧ソ連は北朝鮮軍の生みの親である。中露両国に片足ずつかけてバランスを取りながら生き残りの道を探る北朝鮮の生存術がうかがえる。
(拓殖大学客員研究員・元韓国国防省北韓分析官)