JPの死生観


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 夫が出掛ける間際に語った。「神の加護があればまた会えるだろう。そうでなければ銃殺された非常にぶざまな顔を見ることになる」。1961年、5・16軍事クーデター前日の朝だった。夫人は妊娠7カ月目だった。子供が忘れ形見になるかもしれない瞬間だった。青坡洞の淑明女子大前から鉄道までは結構時間がかかる。しばらく下り坂を下りた後、夫が後ろを振り返った。夫人はその時、道の真ん中に立ったまま泣いていた。

 革命家の人生は悲壮な側面がある。命を懸けるためだ。命懸けになると瞬間瞬間が崇高になる。革命家、金鍾泌(キムジョンピル)(JP)の記憶では、韓国動乱の時も、6・15軍事クーデターの時も、韓日会談の時も、すべて生命を投げ出して事に臨んだ。誰かが休めと言えば、「休息は死んだ後に腐るほど取るよ」と答えた。現代政治家の中でそれほど死生観がはっきりした人間も珍しい。マッカーサーは「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と語ったが、金鍾泌は「黄昏に西の空を赤く染めたい」と語った。彼は、“薪の燃えさし”が一番嫌いだ。完全に灰になるのが彼の夢だ。彼の夢は荘厳だ。

 命懸けだけではダメなことも世の中には多い。特に、政治がそうだ。この不毛の地で何かを成し遂げようとすれば、「実事求是」の精神に透徹しなければならない。政治家、金鍾泌は「後でどんな非難を受けようが、これはやらなければならないと決心すればどんなことでもやった」という。彼の政治人生を広げると、韓国現代史のパノラマが見られる。盧泰愚大統領の時は3党統合し、金泳三大統領の時は勝利の手を上げてやり、金大中(DJ)大統領の時は“DJP連合”を成功させた。両極端の間で緩衝材の役割を果たし、彼は“永遠のナンバー2”という別名を得た。政権をかえながら権力を享受したことに対し称賛と非難が相半ばする。しかし、政治家、金鍾泌の死生観からみると非難することではない。彼は政治を“虚業”だと言った。「恒産なければ恒心なし」を平素の口癖のように強調したのはそのためだ。

 歳月は一瞬だ。その新しい歳月が積もりに積もって離別の瞬間が来た。54年前、青坡洞で夫を見送った朴栄玉夫人がおととい永眠した。最期のその道を今度は金鍾泌元首相が接吻(せっぷん)で見送った。墓地をあらかじめ準備したこともそうだが、「永遠の伴侶と共にここに眠る」という墓碑銘も心に染みる。誰が生と死に対して超脱できるだろうか。JPの死生観はいっそう光を放っている。

(2月24日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。